『やさしさ迷惑17/100』

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学び
第17話
名前の残らない仕事

前話:優作は、美月の心のコップが空になっていることに気づいた。頼られることと満たされることは違う。能力ではなく、その人自身を見ることの大切さを知り、チームで美月に集まりすぎていた仕事を分け始めた。

翌朝。

オフィスの空気は、少しだけ変わっていた。

美月の席に集まっていた確認依頼は、昨日より明らかに減っている。
佐伯の資料は、まず優作が見る。
真壁のメールは、桐谷が一次確認する。
田辺案件は、美月が最後だけ確認する。

完璧ではない。
でも、少しだけ分散されていた。

優作は、それを見て少し安心していた。

その時だった。

部長の声が、フロアに響いた。

「昨日の田辺さんの件、うまくまとまったな。相沢さんと中村くん、助かったよ」

優作は一瞬、顔を上げた。

部長は続ける。

「佐伯くんも頑張ってたな。あの流れなら次もいけそうだ」

佐伯が少し照れたように頭を下げる。
美月も静かに会釈する。

優作も「ありがとうございます」と返した。

その横で、真壁が笑っていた。

いつも通りの顔で。

「いやー、ほんと助かりましたよ。みんな優秀で」

軽い声だった。

でも優作は、何かが引っかかった。

真壁はその場にいた。
田辺さんとの間に入り、先方からの要望を拾い、社内で投げ先を探し、資料の締切を調整していた。

でも、部長の言葉の中に、真壁の名前はなかった。

誰も気づいていないようだった。

真壁本人も、笑って流していた。

ただ、その笑い方が、昨日の桐谷に少し似ていた。

昼前。

真壁が桐谷の席に来た。

「桐谷、悪い。これ今日中に軽く見られる?」

桐谷が顔を上げる。

「また“軽く”ですか」

「いや、今回は本当に軽く」

優作は、その言葉に反応した。

真壁の手元には、先方への調整資料があった。
軽く見れば済むような量ではない。

桐谷が苦笑する。

「今日中はちょっときついですね」

「そこを何とか」

真壁の声に、いつもの軽さがある。
でも、その奥に少し焦りが混ざっていた。

優作は声をかけた。

「真壁さん」

「ん?」

「それ、目的と期限を一回整理した方がよくないですか」

真壁の顔が、少しだけ固まる。

「……またそれ?」

空気が止まる。

優作は、しまったと思った。

真壁は笑っている。
でも目だけは笑っていなかった。

「いや、ごめん。分かってるよ。俺の頼み方が雑なんだろ」

「そういう意味じゃ——」

「でもさ」

真壁は、資料を握ったまま言った。

「こっちだって、誰かに頼まないと回らないんだよ」

その声は、いつもより低かった。

桐谷も佐伯も、少し黙る。

真壁は続けた。

「俺が間に入って調整してることって、うまくいった時は誰にも見えないんだよな。
先方から詰められて、社内で急かされて、何とか形にしても、最後に名前が出るのは整えた人」

優作は何も言えなかった。

「でも、ズレた時だけは“最初に振った真壁が悪い”になる」

真壁は笑った。

でも、その笑いは苦かった。

「そりゃ俺の頼み方が雑なのも分かってる。
でも、俺だって雑にしたくてしてるわけじゃない」

フロアが静かになる。

今まで、真壁の軽い依頼に何度も振り回されてきた。
優作も、正直うんざりしたことがある。

でも今、初めて見えた。

真壁もまた、見えない場所で削れていた。

見えない調整役ほど、成果が出た時に名前が残らない。
でも、失敗した時だけ責任の輪郭がはっきりする。

優作は、その言葉を胸の中で噛みしめた。

真壁は、すぐにいつもの顔に戻そうとした。

「悪い。変なこと言ったな」

そう言って去ろうとする。

でも、優作は止めた。

「真壁さん」

真壁が振り返る。

「今の話、変じゃないです」

真壁は少しだけ目を細める。

優作は続けた。

「真壁さんが間に入ってくれてること、俺たち見えてなかったと思います」

真壁は黙る。

「でも」

優作は、一度息を吸った。

ここでただ慰めるだけではダメだ。

「見えてなかったからって、周りが潰れていいわけでもないです」

真壁の表情が変わる。

美月が、少し離れた席からこちらを見ていた。

優作は続けた。

「真壁さんが抱えてるものは、ちゃんと見えるようにした方がいいです。
でも、それを“ちょっとだけ”で人に渡すと、今度はこっちが見えないまま抱えることになります」

真壁は何も言わない。

「だから、頼まないでください、じゃないです。
頼む前に、何を、いつまでに、何のために必要なのかを一緒に出したいです」

その言葉に、桐谷が静かにうなずいた。

佐伯も、少しだけ前を見る。

真壁は資料に目を落とした。

「……そうか」

小さな声だった。

少し沈黙が落ちたあと、真壁は自分の資料を机に置いた。

「じゃあ、言い直す」

その声は、いつもの軽さより少しだけ重かった。

「今日中に全部を整えたいわけじゃない。
明日の午前、先方に確認するために、論点を三つに絞りたい」

優作はうなずく。

「はい」

「必要なのは、見た目じゃなくて、先方に聞くべきことの整理」

桐谷が言う。

「それなら、俺が15分だけ見ます。論点整理だけなら」

佐伯が続ける。

「過去資料の該当箇所、僕が探します」

美月が静かに言った。

「私は最後の文面だけ見ます。全部は見ません」

真壁が少しだけ笑った。

「分かった。最後だけお願いします」

それは、いつもの“丸投げ”ではなかった。

頼んでいる。
でも、投げてはいない。

優作は少しだけ肩の力が抜けた。

作業は三十分で進んだ。

桐谷が論点を削る。
佐伯が資料を探す。
優作が確認文にする。
美月が最後だけ整える。

真壁は、その全体を見ながら、先方への背景を説明した。

「ここ、先方はたぶん役員向けに言い訳材料がほしいんだと思う」

美月がすぐに言う。

「“たぶん”ではなく、確認しましょう」

真壁は苦笑した。

「はい。確認します」

それを聞いて、優作は少し笑った。

真壁も変わろうとしている。

雑に頼むのではなく、
自分が抱えているものを、ちゃんと言葉にしようとしている。

それは簡単なことではない。

夕方。

先方への確認文がまとまった。

真壁が画面を見ながら、少し息を吐いた。

「……こうやって出すと、俺が何に困ってたかも分かるな」

優作はうなずく。

「見えないままだと、こっちも真壁さんが何を抱えてるか分からないです」

「だよな」

真壁は少しだけ苦笑する。

「俺、ずっと“頼む側”だと思われてたかもしれないけど、実は結構“頼まれてる側”でもあるんだよ」

その言葉は、軽くなかった。

優作は言う。

「はい。今日、少し見えました」

真壁は、その返事を聞いて少しだけ黙った。

「……そっか」

その一言に、少しだけ力が抜けていた。

認められたい気持ちは、人を動かす。
でも満たされないままだと、人を雑に扱う理由にもなる。

優作は、今日の真壁を見ながら思った。

真壁は、承認されたい人だった。

でもそれを言えないから、軽さに変えていた。
焦りに変えていた。
そして、曖昧な依頼に変えていた。

終業間際。

部長がもう一度フロアに顔を出した。

「真壁、先方との調整ありがとう。あの件、だいぶ助かった」

真壁が一瞬、固まった。

本当に一瞬だった。

それから、いつものように軽く笑う。

「いやいや、みんなに助けてもらったんで」

でも、今日の優作には分かった。

その一言が、ちゃんと真壁に入ったことが。

桐谷が小声で言う。

「今の、ちょっと効いてたな」

優作も小さくうなずく。

「かなり」

真壁がこちらを見る。

「聞こえてるぞ」

「すみません」

「まあ……効いたけどな」

そう言って、真壁は少し照れくさそうに笑った。

帰り際。

真壁が優作の席に来た。

「中村くん」

「はい」

「今日、ありがとな」

「いえ」

「俺の頼み方が雑なのは、たぶん性格だけじゃないんだな」

優作は少しだけ笑う。

「性格もあると思います」

「そこは否定しろよ」

「でも、焦ってる時ほど雑になるのは分かりました」

真壁はうなずいた。

「俺も、今日分かった。
何を頼みたいかをちゃんと言うと、自分が何に困ってるかも分かるんだな」

それは、真壁にとってかなり大きな気づきに見えた。

優作は言った。

「頼むのも、コミュニケーションなんですね」

真壁は笑う。

「今さら?」

「今さらです」

二人は少しだけ笑った。

その夜。

優作のチャットに、美月からメッセージが届いた。

今日の真壁さんへの返し、よかったです

優作は画面を見て、少しだけ息を吐く。

責めすぎず、でも流さないようにしました

すぐに既読。

それが一番難しいです

少し間があって、もう一通。

今日は、真壁さんの名前が残りましたね

優作は、その一文をしばらく見つめた。

名前が残る。

たぶん、それだけで救われる人がいる。

大きな評価じゃなくていい。
派手な称賛じゃなくていい。

自分がやったことが、誰かの言葉の中に残ること。

それだけで、心のコップに少し水が入ることがある。

優作は返信する。

ですね。見えない仕事ほど、言葉にしないと残らないんだと思いました

美月からの返事は、短かった。

はい

それだけ。

でも、今の優作には十分だった。

会社を出ると、夜風が冷たかった。

優作は、ここ数日のことを思い出す。

佐伯は、役に立てていないと思って苦しんでいた。
美月は、役に立ちすぎているのに満たされていなかった。
真壁は、役に立っているのに名前が残らず、軽く振ることで自分を保っていた。

みんな違う形で、承認を求めていた。

でも、それはわがままではない。

人は、自分がここにいる意味を、
誰かの言葉の中で確かめることがある。

優作はスマホをしまった。

そして翌日。

その“承認”が、
今度は思わぬ形で裏返る。

褒めたつもりの言葉が、
相手を追い詰める。

優作はまだ知らない。

承認は、渡し方を間違えると、
期待という名前の重荷にもなるのだ。

第18話へ続く。

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