答えなんてないから

答えなんてないから

記事
コラム
私たちは、いつの間にか、

「世の中には答えがある」

という前提で生きているのかもしれません。

たとえば、部屋をきれいにしたいと思えば、
SNSやYouTubeで掃除方法を調べる。

仕事で悩めば、
本を読んだり、成功している人の話を聞いたりする。

人生に迷えば、
自己啓発書を読んで、

「なるほど、こう考えればいいんだ」

と答えを見つけようとします。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

新しい知識を知ることで、
生活が楽になったり、
気持ちが軽くなったりすることもあります。

私自身、本を読むのが好きですし、
そこからたくさんのことを学んできました。

でも最近、少し危ういなと思うことがあります。

それは、

「もう答えはわかった」

と思った瞬間です。




答えを見つけても、また次の答えを探してしまう


本を読んで、

「これだ」

と思う。

しばらく実践してみる。

でも、なぜかうまくいかなくなる。

すると、

「この考え方ではなかったのかもしれない」

と思って、また次の本を読む。

また別の人の話を聞く。

そして、また新しい答えを探す。

こうして私たちは、
ずっと答えを探し続けることになります。

ここで一度考えてみたいのです。

本当に問題なのは、

「まだ正しい答えを知らないこと」

なのでしょうか。

それとも、

「どこかに正しい答えがある」

と思い込んでいることなのでしょうか。




知識が増えるほど、迷うこともある


知識を増やしていくと、
面白いことが起こります。

Aという本には、

「頑張りなさい」

と書いてある。

Bという本には、

「頑張るのをやめなさい」

と書いてある。

ある人は、

「行動がすべてだ」

と言い、

別の人は、

「何もしない時間が大切だ」

と言う。

どちらも、
ある状況では正しいのだと思います。

だからこそ、

「で、結局どっちなの?」

となる。

知識が少ないから迷うのではなく、
知識が増えた結果、
迷うことだってあります。




「答えを知っている自分」が生まれる


もう一つ、
私自身が気をつけたいと思っていることがあります。

自分が一度何かに気づくと、

「これはこういうことなんだ」

と思うようになります。

すると、誰かが同じようなことで悩んでいる時、

「ああ、それはこう考えればいいんだよ」

と思ってしまうことがあります。

口には出さなくても、

「まだそこに気づいていないんだな」

と思ってしまう。

でも、これはかなり危うい。

なぜなら、その瞬間、

「答えを知っている人」と
「答えを知らない人」

という上下関係を、
自分の中でつくってしまうからです。




「知っている人がすごい」は、自分を苦しめる


私はここが、とても大切だと思っています。

何かを「すごい」と決めると、
その反対側には、

「それができていない人は、すごくない」

が生まれます。

「答えを知っている人がすごい」

と思えば、

答えを知らない自分は、
すごくない人になる。

まだできていない自分。

まだわかっていない自分。

迷っている自分。

そんな自分を、
無意識のうちに下に見始めます。

つまり、

「もっと成長したい」

と思って答えを探していたはずなのに、

その考え方によって、
自分自身を卑下してしまうことがあるのです。




そもそも、答えは一つなのでしょうか


人間は、ずっと変化しています。

昨日の自分と、
今日の自分は違います。

体調も違う。

気分も違う。

置かれている状況も違う。

相手との関係性だって変わります。

昨日うまくいった方法が、
今日もうまくいくとは限りません。

去年の自分には必要だった考え方が、
今の自分には必要ないこともあります。

そう考えると、

「人生の正しい答え」

というもの自体が、
少し不自然に思えてきます。

あるのは、

「今の自分には合っている」

とか、

「今はこの考え方がしっくりくる」

くらいなのかもしれません。




答えなんてない


私は最近、

「答えなんてない」

と思えるようになると、
少し人生が楽になるように感じています。

別に、
何も考えず適当に生きるという意味ではありません。

むしろ逆です。

誰かの正解ではなく、

「今の自分は何を感じているのか」

「自分は本当は何を大切にしたいのか」

を丁寧に見ることができるようになります。

答えを探すことよりも、

「なぜ私は、この答えに執着しているんだろう」

と考えてみる。

私はそこに、
とても大きなヒントがあると思っています。




執着の奥には、大切なものがある


何かに執着している時。

「こうあるべきだ」

「こうしなければならない」

「これが正しい」

と思っている時。

その考えを無理に捨てなくてもいい。

むしろ、

「なぜ私は、これほど大切にしているんだろう」

と見てみる。

すると、そのもっと奥に、

自分が本当に守りたいものや、
大切にしたい価値観が隠れていることがあります。

表面には、

「成功したい」

「評価されたい」

「失敗したくない」

と出ているかもしれません。

でも、そのさらに奥には、

「人の役に立ちたい」

「自分で人生を選びたい」

「安心して生きたい」

「大切な人を守りたい」

というようなものが、
静かに存在しているのかもしれません。

私は、それを木の根のようなものだと思っています。

普段は見えない。

土のずっと深いところにある。

けれど、
そこから自分という木に、
ずっと栄養を送り続けている。




人生を動かすのは、正解ではなく「大切なもの」


本当の意味で人生が動き始めるのは、

正しい答えを知った時ではなく、

「私はこれを大切にしていたんだ」

と気づいた時なのかもしれません。

だから私は最近、

答えを増やすことよりも、

自分が何にとらわれているのか。

何に執着しているのか。

その奥に何があるのか。

そこを見ることを大切にしています。

もちろん私自身も、
何度も答えを探します。

「こうすればいいんだ」

と握りしめて、

しばらくして、

「ああ、また答えに執着していたな」

と気づく。

その繰り返しです。

それでいいのだと思います。

答えを探し続けなくてもいい。

今の自分に合わなくなったなら、
手放してもいい。

昨日と違うことを考えてもいい。

迷ってもいい。

変わってもいい。

人はずっと変化しているのだから。

「正しい答えは何だろう」

ではなく、

「私は今、何を大切にしたいのだろう」

そう問い続ける。

その方が、
ずっと自分らしい人生に近づいていくような気がしています。




答えを探すのではなく、自分の中を見てみる時間


とはいえ、一人で考えていると、
どうしてもまた「正しい答え」を探し始めてしまうことがあります。

私自身もそうです。

気づけば、

「どうすればいいんだろう」

「何が正解なんだろう」

と頭の中でぐるぐる考えてしまいます。

そんな時に大切なのは、
誰かから答えをもらうことではなく、

自分が今、何を感じているのか。

何に引っかかっているのか。

何を本当は大切にしたいのか。

それを、ゆっくり言葉にしてみることだと思っています。

私はココナラで、
休日の朝に「モーニングコーチング」を行っています。

何かを教えたり、
正解を押しつけたりする時間ではありません。

対話をしながら、
頭の中にあるものを一緒に整理し、

「自分は本当はどうしたいんだろう」

というところを見つめていく時間です。

仕事やキャリアの迷い。

これからの働き方。

日々なんとなく感じているモヤモヤ。

まだ「悩み」と呼ぶほどではないけれど、
少し自分のことを整理したい。

そんな時にも使ってもらえたらと思っています。

朝の静かな時間に、

答えを探すのではなく、
自分自身の声を聞いてみる。

そんな時間を、一緒につくっています。

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