40度の熱が、月に1〜2回。
歯科衛生士専門学校2年生の頃から、原因不明の高熱が続きました。何度も精密検査を受け、最終的にわかったのは指定難病の自己免疫疾患。
「一生付き合っていく病気です」
そう言われたとき、正直、将来よりもまず「ちゃんと働けるのかな」という不安が頭をよぎりました。
実習も欠席が多く、足りない日数は夏休みに私ひとりだけ補習実習へ。
みんなが休んでいる間に、
私は1人で学校へ行き病院実習をしていました。
悔しいというより、
「申し訳ない」という気持ちのほうが強かったのを覚えています。
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就職後も、非常勤からのスタート。
半日勤務でも、
帰宅すると動けなくなる日がありました。
今思えば、あの職場の皆さんには感謝しかありません。
体調を気遣いながらも、新米の私に歯周病の担当を任せてくれました。
「試行錯誤してやってみて」
そう言ってくれた院長の言葉で、
私は初めて“患者さんに向き合う楽しさ”を知りました。
歯周ポケットの数値が改善したときの喜び。
患者さんが笑顔で「ありがとう」と言ってくれる瞬間。
名前を覚えてもらった喜び。
私は、歯科衛生士という仕事が好きでした。
結婚を機に嫁ぎ先へ。
そこで入った歯科医院は、
正直、合いませんでした。
院内は不潔だったり。空気は重く、強い立場の人がすべてを支配しているような環境。
体調も悪化し、発熱の頻度が増えました。
「ここでは無理だ」
そう思い、退職。
一度、私は“働く”という選択肢を手放しました。
子どもがほしかったこともあり、
しばらくは専業主婦に。
やっと授かった命に向き合いながら、
「もう私は現場には戻れないのかもしれない」と思っていました。
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そんなとき、
家の近くに新しい歯科医院ができました。
思い切って応募し、今の職場に出会います。
体調のことを伝えた上でのスタート。
オープニングから11年目になります。
完璧に働けるわけではありません。
フルタイム経験もありません。
でも、だからこそ考えるようになりました。
「私は何ができるのか」
体調の波があるから、効率を考える。
長時間働けないから、仕組みを見る。
人が辞めていく現場を見てきたから、
定着の理由を考える。
働けないかもしれないと思った経験は、
私に“構造を見る視点”をくれました。
私は強い人間ではありません。
でも、弱さから考える力は身につきました。
そして今、その視点が
医院のSNS設計や採用支援という形で仕事になっています。
次の記事では、
体調の不安を抱えながら、
どうやって「雇われる側」から
「支える側」という立ち位置に変えていったのか。
具体的に整理してみたいと思います。
もし今、体調や環境に不安を抱えながら
「このままでいいのかな」と思っているなら。
次の記事が、
少しだけヒントになるかもしれません。