あの町の想い出

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コラム
この話は、私の妄想と言っておく。

ニュースで連日報道されている町。

私はこの町の人たちが好きだ。

新入社員の頃、測量という仕事をしていた時期がある。

町役場の係長と地元の地権者に同行して、測量を行った。
約1ヶ月間ぐらい
だろうか。

私はまだ、やっと測量機器の三脚を立てられるぐらいの段階で
会社の先輩もおらず、初めて1人で行う仕事だった。

係長は、ものをはっきり言われる方で
社内では「苦手なお客様」という人もいた。

年齢は、私より10歳は上だったと思う。
おそらく係長は、こんな若造をよこして…と感じていたハズだ。

事実、現場ではかなり苦労した。

ニュースで見てわかるかもしれないが、山は急な斜面が多い。

しかも測量する場所は、山の尾根より沢がほとんどだった。

狭い谷状の地形では、三脚を立てる難易度が高いのだ。
始めのうちは、中々上手く機器をセットできず、

(このコ、大丈夫?)

みたいに思われていただろう。

地権者の多くはご高齢の方で、10名程が同行する。

係長と何名かが、測量をサポートする体制だ。
地権者の方々は、皆
優しかった。

私を孫のように思っていたのだろう。

地権者の畑のぶどうやイチジクなどをおやつにいただいたり、緊張を和らげるためか、色々と話しかけてくれた。
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1週間ぐらいして、測量に慣れてくると、
係長を始め、皆さんのサポートもスムーズになっていった。

私も測量に自信がついて、仕事の楽しさを感じるようになってきていた。

会社の同期の中では
測量機器をセットするスキルは一番になっていた。

そして、ついに最終日。

といっても
測量は前日に終了していたが
係長が午後から打ち上げをしようと提案していたのだ。

公民館に皆で集まり、宴会を開いてくれた。
地権者の方々は、料理やツマミを持ち寄り、私を労ってくれた。

いつの間にか寝てしまったが
起きると
地権者の方が、晩ごはんをうちで食べていきなさいと、招待してくれた。

あの時代ゆえの出来事であるが
すごく暖かい想い出だ。

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1ヶ月後、正式な納品も終わり、会社役員・上司と係長と私で、打ち上げを行った。

今では無いが、昔はよくあった事だ。
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その席で係長は
私のことを褒めてくれた時

会社の役員が
「こいつはまだ半人前で、まだまだです」

と言って謙遜する発言をしていた時だった。

係長は、本気で怒り、私を庇った。
お酒の勢いもあるだろう。

測量の際、地権者の
おじいちゃん、おばあちゃんたちと和気あいあいと会話しながら
作業してくれたおかげで、
土地の境界をめぐる争いも全くなく、スムーズに進んだことなどを会社の役員にまくし立てていた。

あの始め厳しいと思っていた係長が
私の側について、守ろうとしている。

私は胸が熱くなった。
うつむいて涙が溢れた。

このことは、その後の私にとって
大事な宝物となった。

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今ではこういった接待もなく、人間同士の付き合いも希薄になってしまった部分もある。

時代が変わったし、コンプライアンス上、仕方のないことだ。

あの現場では、私と係長、そして地権者のおじいちゃん、おばあちゃん、皆で汗を流した作業だった。

損得を考えるものではなく、人と人の自然な繋がりだった。

それを皆で讃え合い、労い、
達成感を分かち合っただけだ。

その後、あの町の役場に何度か伺ったが、
係長は
まるで私の兄貴分のように
親しく接してくれた。

午前中に伺った時には
必ず
「飯まだだべ?」
と、近くの食堂でカツ丼を一緒に食べた。

あの現場の話や
公民館での打ち上げの話、
今でも地権者の方々が、私のことを気にかけてる話を楽しそうに語った。

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今。
あの災害の中で
どうされているのだろう…

あの町の皆さまに
私は数多くのことを学ばせてもらい
優しくしていただいた。

あの山火事を含めた災難が
少しでもはやく収まり
穏やかな日常を取り戻されることを
切に願う。
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