「もう30代後半だから、今の会社にしがみつくしかない」
「転職回数が多すぎて、まともなキャリアなんて作れない」
もしあなたが今、そんな風に自分を責めているなら、少しだけ私の話を聞いてください。
新卒を8ヶ月で辞め、2社目でも上司のいじめに遭い半年で退職。その後も試用期間延長を告げられて職場で大泣きしたり……。そんな「迷走だらけ」の私でも、48歳の今、外資系企業の課長として人生で一番楽しい日々を送っています。
この記事では、私が7回の転職を経てどうやって「自分らしいキャリア」を取り戻したのか、その泥臭いプロセスをすべてさらけ出します。
読み終える頃には、「あ、私の未来もまだ変えられるかも」と、キャリア形成や転職などに悩む方々の心が少し軽くなっていると嬉しいです!
第1章:20代、暗闇の中での「強制終了」と「挫折」
私のキャリアのスタートは、お世辞にも順調とは言えませんでした。
米国に留学していた私は日本の新卒採用には応募せず、入社したのは、社員10名ほどの小さなPR会社です。アカウントエグゼクティブ(いわゆる企画営業のような仕事でした)として採用されましたが、現実はクリッピング(新聞の切り抜き)やサンプリングの発送作業といったルーチンワークが大半でした。「もっと戦略的な広報に携わりたい」という理想ばかりが空回りし、働く環境にも不満がつのり、わずか8ヶ月で退職しました。
次に選んだのは、外資系化粧品メーカーのマーケティング職です。しかし、ここで待っていたのは上司からの陰湿ないじめでした。ある日、虫の居所が悪かった上司から、資料を目の前で投げつけられたこともありました。床に散らばった紙を見つめながら、頭が真っ白になりました。
そして結局、そこも半年で退職。
上司からのキツい当たりに疲れて心はボロボロでした。
その後、何者かになりたくて法律系の難関資格を目指しましたが、3年ほど勉強しても結果は不合格。派遣社員生活を送りながら、「自分は何をやっても続かない、ダメな人間だなあ」と、毎日自分を責めていました。
第2章:転機。居心地の良さを捨てて「軸」を取り戻す
そんな私に転機が訪れたのは、3社目の派遣先でのことでした。
某外資系企業の経理部門で働き始めた私は、上司との相性も良く、契約社員へと登用されました。職場は穏やかで、居心地も抜群。このままここで過ごす道もありました。
けれど、契約社員であるため大きなキャリアアップはおそらく今後も望めない。そして、もう一つ心の奥底にある小さな声が消えなかったのです。
「やっぱり、私は広報の仕事がしたい」
経理部門の仕事は楽しかったのですが、社外への転職活動を進めことにしました。また同時に、社内の広報部門に欠員が出ることになり、以前私が広報の仕事をしていたことを知っていた人が「社内公募」を勧めてくれました。
広報の仕事ですから社長や役員クラスの方々とも仕事をすることが多くなります。そのため面接は社長と広報担当役員の方。とても緊張しましたが、派遣社員時代からの仕事ぶりが信頼されていたこともあり、採用が認められ、晴れて広報として正社員になりました。
ここから5年間、たった一人の広報担当として働きました。この時、どれほど環境が変わっても「企業広報」という軸だけは手放さないと決めたことが、のちに私のキャリアを救うことになりました。
第3章:30代〜40代前半。再び始まった迷走と「大泣き」の夜
広報としての経験を積み、転職を経て初めて管理職になったのは30代半ばのことです。しかし、ここでまた大きな失敗を犯します。
当時の上司が会社嫌いで、毎日私に「こんな会社、早く辞めたほうがいいよ」と吹き込んできたのです。その言葉に焦った私は、社風や条件を十分に精査せず、勢いだけで次の会社を決めてしまいました。
6社目、一人広報として入社した先は、驚くほどカルチャーが合いませんでした。カルチャーが合わないことが原因で、評価される行動ができない…。ここでもものすごく焦っていました。
そして入社から3ヶ月後。
会議室に呼ばれた私は、上司から「試用期間を延長する」と宣告されました。それまで張り詰めていた糸が、ぷつんと切れた瞬間でした。
悔しくて、情けなくて、3ヶ月分の孤独とプレッシャーが爆発し、上司の前で子供のように大泣きしてしまいました。
「どうしてこんな選択をしてしまったんだろう」という激しい後悔。感情だけで動く危うさを、痛いほど学んだ経験でした。
第4章:地元への帰還、そして「理想の環境」の再定義
東京での生活に疲れ果てた私は、一度地元に戻り、地元企業のECマーケティング部門で働き始めました。
そこでは仕事の正確性やスピード感などが評価され、係長、課長、そして部長へとトントン拍子で昇進しました。周囲からは「成功者」に見えたかもしれません。
しかし、私の心はまたしても苦痛を感じていました。東京の外資系企業で培ってきた私の感覚と、地元のゆったりとした組織文化の乖離です。仕事の進め方一つとっても、決定までに数週間かかったり、私から見れば「言われたことしかやらない」部下たち。不満を募らせて、毎日イライラしてしまう自分がいました。
役職が上がれば幸せになれるわけではない。自分に合う「環境」に身を置くことの方が、私にとっては重要だったのだと確信しました。
第5章:48歳の今、ようやく「自分」を生きている
私は再び東京に戻る決意をし、紆余曲折を経て今の8社目に辿り着き、外資系企業の課長として働いています。
管理職ですが、直接の部下はいません。その分、自分の専門性を活かし、上司や仲間に頼られながら、フラットな人間関係の中で楽しく仕事をしています。
振り返れば、7回の転職はすべてが正解ではありませんでした。
でも、一つだけ言えることがあります。
それは、「自分を諦めることだけはしなかった」ということです。
「もう遅い」なんてことはありません。たとえ今、あなたが暗闇の中でもがいていたとしても、それは次のステージへ進むための準備期間に過ぎないのです。遠回りをした経験も、いつか必ずあなたの「引き出し」になるはずです。
最後に:あなたの一歩を応援させてください
私のキャリアは、綺麗な一本道ではありませんでした。でも、その時々の「好き・嫌い」「得意・不得意」を無視せず、もがきながら向き合ってきたからこそ、今の充実感があります。
もし、今のあなたが「何から始めていいかわからない」と立ち止まっているなら、まずは自分の経験や心の中を整理することから始めてみませんか?