久しぶりにゲームを買った。
その瞬間、少しだけ「勉強の時間が減るかもしれない」と思った。
でも一日を過ごしてみると、
その不安は思っていたほど大きくならなかった。
ゲームをしたからといって、
勉強ができなくなるわけではなかった。
勉強をしたからといって、
ゲームが楽しめなくなるわけでもなかった。
時間は、何かと何かが奪い合うように見えて、
実際にはただ並んでいるだけだった。
ゲームをしている時間も、
勉強をしている時間も、
どちらも自分が選んだ時間。
「ゲームをしたら勉強ができない」
「勉強をしたら遊ぶ時間がなくなる」
そう思っていたのは、
時間が“取り合い”になるという前提を持っていたからだ。
でも、今日気づいたのは、
時間は取り合いをしないということ。
ただ、そこに流れているだけで、
その中から何を選ぶかが変わるだけだった。
ゲームをしたことで気分が軽くなり、
そのあと勉強に自然と向かえることもある。
勉強を少し進めたことで、
ゲームをより気持ちよく楽しめることもある。
どちらかがどちらかを邪魔するのではなく、
むしろ協調していた。
時間の取り合いをしないと、
生活は少し軽くなる。
「どれを選んでもいい」という余白が生まれる。
ゲームも、勉強も、休むことも、
全部が自分の選択肢のひとつ。
その選択肢が増えるほど、
心に余裕が生まれていく。