自己紹介 | 40代シングルマザー | 全てを怖がっていた私が、“わたしの力”で生きていくまで

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― 不安ばかりだった毎日が、歳を重ねて“楽しく”変わっていった話 ―

「環境のせいで…」と感じるあなたへ。“負け手札”でも戦える方法を、私の失敗と再挑戦の記録からお届けします。



🌸はじめまして
こんにちは。「W lab(わたしラボ)」といいます。


国内製薬企業の情報システム部で10年以上、「パソコンが苦手で…」と戸惑う社員の方に寄り添いながら、テクニカルサポートや業務効率化のお手伝いをしてきました。


その後は大学に転職し、5年間にわたって研究員兼秘書として国の研究費(CREST・AMEDなど)を活用したプロジェクトをサポート。

申請管理からバックオフィス構築まで一括で担い、アナログな業務をデジタル化することで、研究室の残業時間を大幅に削減した実績があります。



一方で私は、20年以上シングルマザーとして、子育てと仕事を両立してきました。

養育費にも頼らず走り続けた日々は決して平坦ではありませんでしたが、「難しいことを、わかりやすく伝える姿勢」は、その経験が育ててくれたように思います。

今は事業をしながら、「ITが苦手でも副業や在宅ワークに挑戦したい人」に向けて、自立のマインドセット、仕組みづくりのヒントをお届けしています。




🔹不安だらけの幼少期——自由への小さな願い
幼稚園児だった私は、いつも願っていました。


「いつか、自分らしく、自由に生きられるようになりたい」
「本当の私のままで、人に見てもらえる日が来たらいいのに」——


でも、現実はその想いとは裏腹で。
祖母からの暴力で、身動きもできず、言葉にすることさえ怖かった日々。

商売人だった祖母の会社では、
「この子は上等なお肉しか食べないのよ」「高いお洋服が好きなの」
そんなふうに従業員の前で紹介されて、
心とは裏腹に、“贅沢なお嬢様”を演じるしかありませんでした。


それでも——
心の奥ではずっと願っていたんです。
「本当の自分で、生きてみたい」って。

その願いは、大人になった今も、ずっと私の中に息づいています。

けれど…
自由に生きることも、ありのままの自分を見せることも、
やっぱり、簡単なことではありませんでした。


私の家族は、祖母・母・兄・私の4人。
家の中のすべての主導権は、事業を営む祖母が握っていました。

母は祖母の言いなりで、影の薄い存在。
祖母はいつも何かに怒っていて、家の中では怒鳴り声が絶えませんでした。

ある年の誕生日。多分 4〜5歳くらいの頃でしょうか。
祖母と母が、仕事帰りに私のためにとっても大きなウサギのぬいぐるみと誕生日ケーキを買って帰ってきてくれたのを見ました。

うれしいはずのその日の夜、
祖母が突然怒り出し、ぬいぐるみはゴミ袋へ。
ケーキは壁に投げつけられ、箱から飛び出して床に落ちてしまいました。



🔹理不尽に立ち向かった学童期——2つの気づき
1️⃣「この人のようになってはいけない」と決めた誕生日
その日の真夜中、母がごめんねと泣きながら、地面に触れていない部分のケーキを拾って食べさせてくれたんです。

その時、私は思いました。
「この人のようになってはいけない」と。

なぜそう思ったのか、
幼かったのでその意味をうまく言葉にできなかったけれど、
その決意は今も私の人生の節々に、影響を与え続けています。

――私は、母を反面教師にしよう。
そう、どこかで本当に強く決めたんだと思います。

事業をしていた祖母とそれを手伝う母、
帰るのはいつも遅く、朝方の時もあります。

遅くまで大人がいないことを悪い人に知られて、
真夜中に2階の窓から家に入ろうとした空き巣と出会うこともありました。

8歳の頃、祖母が脳梗塞で倒れたあとは、我が家は一気に貧困になります。

給食費が払えず、同級生から「貧乏」とからかわれ、仲間外れにされたこともありました。
家には食べ物がなかったので、私と兄はよくお腹を空かせていました。

「女の子だから」という理由で、
祖母の食事の世話やおむつ交換をしないと叱られるようになりました。
自分のことを殴ったり置き去りにした祖母を介護する日が突然きた。

痴呆症が進み、家から抜け出した祖母を小学校の授業を抜けて迎えに行くこともしばしばありました。



2️⃣ ドロシー・ロー・ノルト『子は親の鏡』がくれた救い

逃げ場がなく、理不尽に感じながらも理由がわからず憎しみを抱えながらも、とにかくやるしかなかったその頃。

学校で配られた、ドロシー・ロー・ノルトの詩『子は親の鏡』を読んだとき、私は初めて——

「自分は悪くなかったんだ」(大人に問題があったんだ)

そう思えたあの瞬間、胸に衝撃が走ったような気持ちになりました。
そのとき、自分の中に——言葉にはできないけれど——何か大切な「基準」のようなものが生まれた気がします。

それまで心の中に積もっていた、さまざまな理不尽。
私は小学生で胃潰瘍になるほど、心も体も限界を迎えていました。

でも、その詩を読んだあの日から、私は自分を責めなくなった。
そして少しずつ、母に対しても、自分の意見を言えるようになっていきました。

『子は親の鏡』より

批判ばかりされた子は 人を非難するようになる。
励まされる子は 自信をもつようになる。

— Dorothy Law Nolte, Children Learn What They Live(1954)© Dorothy Law Nolte, 1954 / 太郎次郎社




🔹重荷を背負った思春期——母の依存と家出の日々
中学生になったころ、母は私に依存するようになっていました。
生活の不便、家事の大変さ、お金の心配——
毎日のようにさまざまな相談をされるようになりました。

けれど、それは中学生の私にとっては重すぎる荷物でした。
とてもひとりでは抱えきれなかった。

「少しでも母の役に立ちたい」と思って、
年齢をごまかしてバイトを始めたのですが——
それから母にお金を求められるようになりました。

「仕方のないことだ」
そう自分に言い聞かせて、私は流されるまま生きていました。

3年生になると私は仲間と家出を繰り返しました。

20歳になる頃、私は若くして母になりしばらくしてシングルマザーになります。
朝も夜も働きづめの毎日を送るようになりました。


母に子どもの世話を頼むたびに、お金という“代償”が必要でした。
稼げば稼ぐほど、家を空ける時間が増えるほど、
母に渡す費用も増えていきました。

ある夜、寝顔を見つめる子どもたちを前に、
「ちゃんとこの子たちを、大人になるまで育てられるんだろうか」
泣きながら不安でたまらなくなりました。

20代半ば。
「もう、こんな生活は続けられない」——
そう思った私は、やっとの思いで憧れだったパソコンを購入しました。

「これで、自分の世界が広がるかもしれない」
そんな期待を込めて電源を入れました。

けれど画面を前にした瞬間、手が止まりました。
“パソコンで華麗に仕事をこなす自分” は頭の中にいるのに、「具体的に何をどう操作すればいいの?」 がゼロだったんです。

「まずは、MOS(パソコン資格)を勉強してみよう」
そう思ってテキストを開き、少しずつ触ってみるけど
思うようにできないし、本に書いていないことも起こるし…

何度もパソコンを開いては、またそっと閉じる。
せっかく手に入れた憧れのパソコンだったのに、
使いこなせない自分に、落ち込む日々が続きました。




🔹初めての転機:MOS合格がくれた自信
「パソコン仕事なんて無理」
そう感じ始めていた私にとって、MOSの資格勉強は毎日が罰ゲームのように苦痛でした。

でも、テキストを開いても、言葉が難しくてすぐに眠くなる。

そもそも毎日寝不足なので、睡魔で気絶しそうな日もあったし実際デスクで気絶していたかも。ほんとに寝ていたこともしばしば…

とにかく画面を見ても、
どこをクリックすればいいのか分からなくてほんとイライラする。

それでも「ここで投げ出したら一生暮らしは良くならない」って、
自分に言い聞かせながら、少しずつ少しづつ前に進みました。

テキストとCD-ROMの試験対策を何往復かしたある日、
「なんとなく分かったかも」と思えた。

胸の奥がポッと軽くなった感覚がありました。
それはたぶん、「できるかもしれない」って思えた、ほんの小さな自信。

そして迎えた試験当日。
ドキドキしながら受けたMOS試験に、私は合格していたんです。

画面に「合格」の文字が表示された瞬間、

MOSは難易度こそ高くないけれど
誰にとっても当たり前かもしれないことが、
私にとっては、“ずっと乗り越えられなかった壁”だったから。

この経験が、私の中で静かに何かを変えました。

「もっと学びたい」「やればできるかもしれない」
そんな気持ちが、少しずつ芽生えはじめたんです。

このMOS合格は、ただの資格取得ではなく、
“自分を信じてみよう”と思えた最初の成功体験でした。





💻パソコンが“使える”に変わった瞬間。そして、次の一歩へ。
MOSに合格してから、少しずつ“できること”が増えていきました。

昼間に働いていた市役所のバイト先では、マイクロソフト系のサポート業務を任されるようになり、
夜のバイト先でも「チラシ作れる?」と声をかけられるようになって――

そう思えたことが、本当に嬉しかったんです。
パソコンができることがちょっとした自慢になりました。

そこから、私はさらに勉強を続けました。
やがて、失業者向けに開かれていたパソコン教室で、講師のサポート(助手)として働くように。

教えるなんて自信がなかったけど、
かつての自分のように不安そうに座っている人を見ると、
自然と「大丈夫ですよ」と声が出るようになっていました。

でも――現実は甘くなくて。

助手の仕事は楽しかったけれど、
生活できるほどの収入にはならなかったんです。

「このままではいけない」

そう思った私は、思い切って地元を離れ、大阪へ移住しました。




🔹第二の人生:IT業界に飛び込み“普通の生活”を体験する
人生で初めての“環境を変える決断”。
そして、未経験からIT業界に飛び込むという大きな挑戦。

正直、不安しかありませんでした。
このまま朝晩働いて生活することもできました。

でも、「このままでいるともっと泥沼な人生が待っている」という不安な気持ちが、背中を押してくれたんです。

それが、“第二の人生”を意識し始めたきっかけでした。

そして、冒頭にお話ししたお仕事をしました。
大阪に移り住み親元の依存がなくなってから、私の人生は”まとも”になりました。

本当に健やかでした。睡眠が必要ほどとれ、
贅沢はできなくても毎月自分で決めることのできる生活。
稼いだ分は自分で考えてやりくりする。

私にとっては新鮮でとても健康的で、
「これが普通の生活なんだ」と体に染み渡りました。

地元を出て16年ほどになりますが、
今でも毎年が素敵にバージョンアップしています。

もちろん、仕事も子育てもがむしゃらに頑張りました。




🃏配られたカードは選べない。でも、どう出すかは選べる
「頑張っても稼げない」「家族が◯◯だから無理」——
そんな“できない理由”を並べる声を、私はこれまで何度も聞いてきました。
けれど、人生ってトランプに例えれると思うんです。

スタート時の手札(家庭環境・学歴・性別…)は自分で選べない。

でも “どのカードを切るか” “いつ勝負に出るか” は、自分で決められる。

私の最初の手札は、正直あまり強くありませんでした。
暴力、貧困、母の依存——まるでババ抜きのババを抱えているような感覚。

それでも

詩との出会いで「自分を責めない」カードを切り、

MOS合格で「小さな成功体験」カードを切り、

IT業界への転職で「環境チェンジ」カードを切った。



大事なのは「一手ごとに少しずつ役が揃っていく」という視点。

私が “負けそうな手札” を “勝ちパターン” に変えるまでには、10年単位 (MOS取得から転職まで約11年)の時間がかかりました。
トランプと違って、人生のゲームはワンターンで終わりません。


焦らず、粘り強く、次の一手を積み重ねる人にこそ、最後に大きな点数が入ります。



💬 この記事が誰かの参考になりますように
“次は、あなたの番です。”
大切なのは前を向いて実行していくアクションです。
いま「稼ぎたいのに稼げない」と悩むあなたへ。
まずは手札をじっくり眺めてみてください。

そして、どのカードをどう出せるか——小さくても一手を考えてみる。


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20 代半ばまでの “私の土台づくり” を綴った記事はこんな感じです🗒️
けれど、私はまだ前に進みたい——。
自分の経験を誰かの役に立てたくて、ブログ を書き始め、時にはお茶会を開いて、同じ思いの人が集まる場づくりを続けています。



いつか 「シングルマザー奮闘編」 として、成人した 2 人の息子とのリアルなエピソードもシェアしたいですね👶👨
お楽しみに!



読んでくれてありがとうございます☺️
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