こんにちは、玄巌です。
普段の鑑定では、神降ろしの儀を通して神々の声を聞き、静かに言葉を選んでお伝えしていますが、ブログではもう少し肩の力を抜いて、私が日々感じていることを書いていこうと思います。
今日は「当たる占い」という言葉について、少し話をさせてください。
「当たる占い」を探す人たち
「当たる占い師を探しています」
そんな相談を、よくいただきます。気持ちは、とてもよく分かります。
未来を知りたい。答えが欲しい。その気持ちは自然なものです。
でも、私はいつも少し違和感を覚えます。
「当たる」という言葉で占いを測ること。
それについて、今日はお話ししたいのです。
占いは「当てるもの」ではなく、「導くもの」
私は、占い師として、こう思っています。
占いは「当てるもの」ではなく、「導くもの」なのだと。
神降ろしの儀を通して、私は神々の声を聞きます。あなたの因果や心の巡り、魂の響きを読み取り、今必要な導きをお伝えします。
でも、それは「未来を言い当てる」ことではありません。
未来は、固定されておりません。
あなたの選択によって、変わります。
神々が示すのは流れであり、方向性です。
それをどう受け取るか、どう歩むかは、あなた次第です。
「当たった」と感じる時、それは何か
中にはこう思う方もいるでしょう。
「でも、占いが当たったことがある」と。
それは、本当に「占いが当たった」のでしょうか。
「当たった」と感じる時、それは占いが当たったのではなく、あなたがその流れを選んだからなのではないでしょうか。
占い師の言葉を聞いて、心が動いた。
その方向に歩み始めた。だから、その流れが現実になった。
占い師の言葉はきっかけで、本当に未来を動かしたのは、あなた自身です。
私の鑑定でも導きをお伝えして、相談者様がその方向に歩まれた結果、私が示した流れ通りになることは多々あります。
でも、それは私が「当てた」ということではありません。
神々の導きと相談者様の選択や行動、心の動きが合わさった結果です。
神々が示した流れを相談者様が受け取り、歩まれた。
だから、その流れが現実になった。
このように考えると「私が当てた」なんて、おこがましくて絶対に言えません。
占い師が「当たる」ことを売りにすることへの違和感
ここで、少し棘のある話をさせてください。
占い師の中には、「当たる」ことを売りにする人がいます。
「100パーセント当たります」「的中率90パーセント」そんな言葉を見かけます。(最近は法律が厳しくなり、誇大広告も減りましたけど)
当時から私はこの言葉に、強い違和感を覚えます。
繰り返しになりますが、未来は固定されていないからです。
あなたの選択によって変わります。
占い師を渡り歩いてしまう原因
この記事を読んでくださる方の中には、これまで数多くの占い師の元を訪れた方もいらっしゃると思います。
そのことを否定するつもりは全くございませんが、何人もの占い師を訪ねても、心が一向に静まらない。
そんな時は、少し立ち止まってみてもいいかもしれません。
それは「答えが足りない」のではなく、「問いが整っていない」可能性があるからです。
または、「答えを受け取る準備ができていない」のかもしれません。
心の巡りが乱れていると、どんなに良い導きも届きにくくなります。
不安や焦り、執着が強い時は、占い師の言葉を「情報」として集めるだけになってしまう。
本当に必要なのは、答えの数ではなく、心を静めることなのかもしれません。
※より詳しい説明はこちらの記事をお読みください
心が静まれば、答えは見えてくる
「当たる占い」を探す気持ちは、わかります。
でも、一度立ち止まって、本当に必要なものを見つめ直すのも良いでしょう。
心が静まれば、自然と答えは見えてくるかもしれません。
神々の声も、届きやすくなるでしょう。
少しでもこの記事が参考になれば幸いです。
熊野の山がもつ静けさのように、あなたの心にも、再び穏やかな流れが戻りますように。
玄巌