はじめに:都市での『違和感』から始まった、私の二拠点生活への模索
今、皆さんは「リモートワークへの憧れ」や「地方での暮らし」を思い描きながらも、どこか漠然とした不安や、具体的な一歩が踏み出せない葛藤を抱いているのではないでしょうか。私自身も、かつてはそうした時期を過ごしていました。
新卒で入社した上場企業で働き、横浜を拠点に生活する中で、都市での暮らしは多くの刺激と利便性をもたらしてくれました。しかし、ある時、私の心の中にふと「このまま都市だけの人生を続けていていいのだろうか?」という『違和感』が生まれていることに気づいたのです。
それは、単なるリフレッシュとしての地方への憧れではなく、私自身の「事業と暮らし」をより深く、より最適化したいという内なる欲求の始まりでした。
ディテールキャリア代表のYamaDaとして、多くの人のキャリアや働き方を支援する私が、自分自身の「生きる場所」選びで、これほど深く思考を巡らせることになるとは、当時の私自身も想像していませんでした。
このコラムでは、私がその『違和感』を感じた時点から、最終的に横浜と長野県栄村という二拠点生活に行き着くまでの『思考の軌跡』と、その過程で見つけた『ディテール』な気づきを綴っていきたいと思います。
第一章:都市だけの人生で感じた『虚しさ』と、故郷への再発見
私の二拠点生活の原点は、まず「今の働き方、今の生き方で、本当に私の心が満たされているか?」という、自身の仕事と暮らしへの『ディテール』な問いかけから始まりました。
1-1. 都市だけの人生が与えた『心の渇き』と未来への不安
東京などを拠点とした都市での生活は、もちろん刺激的で、多くの出会いや機会に恵まれていました。しかし、その華やかさの裏で、私はふとした瞬間に深い「虚しさ」を感じることがありました。
それは、「お金をどれだけ稼ぐか」という価値観が前面に出る環境、そして本当に自分がしたいことなのか分からないキャリアや出世を追い求める同僚や自分自身を見た時でした。皆が同じ方向を見ているようで、どこか画一的な価値観に縛られているのではないか、という漠然とした違和感があったのです。
もし、このまま自分が都市だけの人生を歩み続ければ、私自身が真に満たされることはないだろう、という感覚がありました。そして、もし将来子供ができた時、その子供もまた、都市での受験競争、都会での仕事という、私が感じた「画一的な人生のレール」に乗っていくことになるのではないか。そんな未来を想像した時、私は強い危機感を覚えました。このままでは、私は家族や友人たちの模範にもなれない、という強い思いに駆られたのです。
この『心の渇き』こそが、私が「場所にとらわれない働き方」、そして「もう一つの拠点」を模索し始めた、最も深い原動力だったように思います。
1-2. 当たり前だった故郷への『再発見』
そんな『心の渇き』を感じていた時、私の心に浮かんだのは、長野県栄村でした。
栄村は、私の親の生まれ故郷であり、私自身も小さい頃からよく訪れていました。そこにある雄大な自然や、温かい人々の営みは、私にとってあまりにも「当たり前」の風景でした。しかし、都市での虚しさや未来への漠然とした不安を感じ始めた大人になってから改めて栄村を訪れた時、その「当たり前」の中に、私自身が失いかけていた「自然の豊かさ」「人との繋がり」「時間の流れ」といった、かけがえのない価値があることに気づかされたのです。
そこには、都会の喧騒とは違う、ゆったりとした時間が流れ、自然の恵みを享受しながら生きる人々がいました。この時、私は、「外側ではなく、自分の内側にすでにある、かけがえのない価値」に気づくことができました。それは、私にとっての「心の羅針盤」が、故郷を指し示し始めた瞬間でもありました。
第二章:『事業と暮らしの最適解』を求めた、二拠点生活の構築
栄村への再発見は、私にとって大きな転機となりました。「この故郷を、私の「事業と暮らし」にどう組み込むか」という、私なりの『ディテール』な問いが始まったのです。
2-1. リモートワーク能力の獲得と、事業基盤の確立
「どこに住むか」という問いと同時に、私は「どこでも働ける自分」になるための能力を徹底的に磨きました。フリーランスとしての活動を本格化し、オンラインでのコミュニケーションツールやプロジェクト管理ツールを使いこなすことを徹底。テキストコミュニケーションの能力も意識的に高めていきました。
これらは、単にリモートで仕事をするためのスキルだけでなく、「場所にとらわれずに事業を継続・発展させるための基盤」として、私にとって不可欠なものでした。まずは横浜を拠点にその能力と基盤を固め、「自分の仕事がどこでも成立する」という確信を得ることに注力しました。
2-2. 故郷・栄村が教えてくれた「健康経営」の本質
そうしてリモートワークの基盤を築いた後、私は横浜と栄村を行き来する二拠点生活を本格化させました。栄村では、住まいのある集落の皆さんによって催される、たけのこ狩りやトマト収穫といった農業体験に私も参加するようになりました。
そんな中で、都市から栄村に友人が訪れると、彼らが雄大な自然の中で活動する中で、まるで心が洗われたかのように生き生きとする様子を目の当たりにしました。また、共に畑仕事を手伝ってもらう中で、「土に触れること」「自然の中で体を動かすこと」「食の恵みを受け取ること」が、どれほど人の心と体に深い充足感を与えるか、ということを私自身も再認識しました。
この時、私は、この「自然と共にある暮らし」の中に、私が専門とする「ウェルビーイング支援」の本質的なヒントがあると感じました。人々の「ウェルビーイング」を考える上で、それは単なる制度や考え方だけでなく、「人が心身ともに豊かに生きるための環境そのもの」にあるという、『ディテール』な気づきを得たのです。栄村での活動は、私のキャリア支援やウェルビーイング支援という事業領域に、より深い視点と実践的な意味を与えてくれました。
2-3. 横浜と栄村、二つの場所が織りなす『私の最適解』
横浜ではビジネスの最新情報をキャッチし、クライアントとの関係性を深める。栄村では、故郷の自然の中で思考を深め、地域の人々と交流しながら、事業の新たな着想を得る。この二拠点生活は、単なる「場所の選択」ではありませんでした。
それは、都市だけの生活で感じた『心の渇き』を満たし、私自身の事業に新たな価値と深みを与え、そして何よりも「自分らしく生きる」ための、私なりの『最適解』**だったのです。そして、この生き方が、もし将来子供ができた時、都市と地方、両方の良さを知る機会を与え、画一的ではない多様な人生の選択肢を示せる模範になれるのではないか、と今は感じています。
これは、私自身が「場所」に合わせるのではなく、「私の事業と暮らし」に合うように「場所」をデザインし、最適なバランスを見つけ出すという、『ディテール』なプロセスだったと振り返っています。
終章:『どこに住むか』を超えて。私が創り続ける『事業と人生の最適解』
私が地方移住・二拠点生活の地域選びと実践を通じて学んだことは、「完璧な場所を探すのではなく、自分自身の『心の渇き』と向き合い、故郷との繋がりの中で『事業と暮らしの最適解』を自ら創り出すことの重要性」でした。そして、その最適解は、一度見つけたら終わりではなく、常に変化する状況に合わせて『ディテール』に調整し、創り続けていくものなのだと実感しています。
「どこに住むか」という問いは、私たちの人生において非常に大きなものです。しかし、その問いの裏側には、常に「どう生きるか」という、より本質的な問いが隠されています。そして、その「どう生きるか」が見えてきた時、私たちは初めて、その場所を自分たちの手で「どう創っていくか」という、次のステージへと進むことができるのではないでしょうか。
このコラムが、今、地方移住や二拠点生活の地域選びで迷っている皆さんが、ご自身の「心の羅針盤」を見つけ、「事業と人生の最適解」を自ら紡ぎ出すための、小さなヒントとなれば幸いです。