気づけば、スマホのメモ帳には大量の断片が並んでいる。「明日、笑う」「目玉焼き、片面だけ」「正解のない会議」「猫があくびをした理由」。自分でも意味がわからない。けれど、どれもなぜか消せない。削除ボタンに指を伸ばすたびに、少しだけためらってしまう。
たぶん、あのメモたちは“思考の落書き”なんだと思う。SNSに書くほどでもない、でも忘れたくない。仕事で煮詰まったとき、誰かの言葉にハッとしたとき、夜中に急に浮かんだ言葉を、とりあえず放り込んでおく。あの小さなメモ帳は、私にとって「思考の倉庫」みたいな場所になっている。
以前は、メモを「整理」しようとしていた。ジャンル分けをして、使えそうなネタとそうでないものを分ける。でも、ある日ふと気づいた。ぐちゃぐちゃのまま残しておく方が、面白い。メモ同士が偶然隣り合って、新しい意味を生み出すからだ。「目玉焼き、片面だけ」と「正解のない会議」が並ぶと、それだけで少し笑える。
創作でも、企画でも、発想の核は“偶然”から生まれる。だから、私は最近「整理しない勇気」を持つようにしている。効率化の時代に逆らうようだけれど、非効率の中にこそ、自分らしさが眠っている気がする。ココナラでサービスを作るときも、まずはメモ帳を眺めることから始まる。「これ、何の意味だろう?」と首をかしげながら、その言葉を形にしていく。
誰かにとっては意味のない断片でも、自分にとっては「小さな火種」になる。メモの中に残っている感情や衝動をたどっていくと、自分の“好き”や“こだわり”が見えてくる。整理されすぎたノートには、それがない。整いすぎると、心の余白まで削がれてしまう。
先日、「猫があくびをした理由」というメモをもとに、新しいアイデアを思いついた。内容はまだ秘密だけど、誰かの心をふっと緩めるようなサービスにしたいと思っている。あの何気ない一文が、こうして形になろうとしているのが不思議だ。
もしかすると、メモ帳って未来の自分への“伏線”なんじゃないだろうか。今は意味不明でも、いつかの自分がそれを拾い上げたとき、ちゃんと意味になる。過去の自分が放った言葉が、未来の自分を導いてくれる。そんな風に思えるようになってから、メモ帳を開くたびに少しワクワクする。
だから今日も、新しい一文を追加する。「空気の色、たぶん金曜日の味」。意味は、今はわからない。でも、きっといつかの自分が、この言葉を見て何かを思い出す。その日まで、消さずに取っておこうと思う。