流れに入ったので、今回は核保有についてお話をさせて下さい。
今回もまた、とても受け入れ難い内容になると思います。
【核を持つのか持たないのか】
この問題は、何処まで行っても思想リテラシーの領域になります。
「理想的にどうするのか。」「現実的にどうするのか。」
この2点で意見が別れるのです。
⇒「平和を維持する為にこそ核を持つべきだ。」
⇒「いや、そもそも核を持っていたら真の平和なんてない。」
⇒「いや、現実的に核を持たないと日本はいつか滅ぼされる。」
こんな具合です。
では、そもそも核を保有している国とはどんな国なのか。
歴史的に見ても、何処からどの角度から見ても、悪の枢軸です。
つまり、悪の世に則った上で物を言えば、核を持てば優位にも立てるし、対等な扱いを受けられる可能性を持つ。
ですが、核を持つということは、悪に対抗し、悪の心に加担しなければなりません。どれだけ綺麗ごとを並べても。
それはつまり、悪人に対して、外交や戦争や人の命を天秤に掛け、似非平和を保つという世界線になります。
【賛成派】
現実的に悪が牛耳っている世界。
日本も核を持とうじゃないか。
持たなければ日本の平和も保てないのだから。
【否定派】
世界で非核条約を結べばいい。
核や生物兵器を作らせなければ良い。
作ろうとしたら無期懲役にすれば良い。
お解りの通り否定派の意見は実現されない訳です。
つまり「現実的」に、巨悪と対抗する為に核を持つのかといったお話。
(非核三原則や核不拡散条約、日米原子力協力協定の話は省きます)
ノーボーダーでも取り上げられていましたが、パールハーバー以前に、日本でも核開発をしていたそうです。
開発に間に合わなかったから日本は広島長崎で落とされたのだと。
では逆に、日本がアメリカに落としていたらどうなっていたのか。
という話にもなります。そこも是非論じて頂きたい。
私は、核も兵器も、根本的に無くさなければならないと訴えて来ました。
日本が核を落とされたのも運命であり、必然であり、必要な事でもあったとも思っています。
不謹慎な発言に聞こえるとは思いますが、もしそうでなければ、このブログも書けないですし、人は常に愚かな所業から学んで生きて来たからです。
ですが、核をこの世界から無くすなんていうのは現実的に不可能な訳です。
ならばどうするのか。
核を落とされようとも言うことを聞かない。
攻め入られ殺されようとも言うことを聞かない。
拷問されようと、妻や子供が何をされようとも言うことを聞かない。
究極的な思想となり、誰も受け入れないと思います。
ですが、日本は言いなりになったから今こうなっているのです。
「だったら、あのまま核を落とされ日本が消滅していても良かったのか」と、過去に言われた事があります。
私は「それでも良かったと思ってます」と答えました。
虐めも、病気も、事故も、犯罪も、虐待も、離婚も、自殺も、動物も殺傷しまくり、自然も壊しまくり、誰かを何かを傷付け苦しめ、そんな現在や未来など要らないと思って来たからです。
「産まれて来なければよかった」「生きてる意味が分からない」「早く死にたい」。私はこの言葉の多くを聞き続けて来ました。
また、離婚率2分に1組。虐待件数も何年もずっと右肩上がり。どうしてそうなるのか。豊かで平和な筈なのに。食べられるだけで十分ではないのか。
私は全くもって、今のこの日本が、日本社会が、幸せであると、平和であると思っていません。お金によって辛うじて喜びに興じているだけ。
その中での、微かな思いやりや、愛情や、笑顔によって人々は生かされているとしか思えていないからです。それ以外は欲深さと悪しき心とお金で買える喜び程度。
余りにも意識が違いすぎて、理解に苦しむ方も、異論がある方も多々いらっしゃると思います。
ですが、今日本が直面している問題は何から生み出されたのかを考えてみて下さい。根本を見て下さい。
どうしても、守ること、悪と戦うこと、正義は勝つなど、この洗脳が行き届いているので、人々はこれ以上の思想の枠を超える事がありません。
ですが、言いなりになった時点で、それは悪の勝利となる。
やり返した時点で、悪とやる事が一緒になる。
明治から西洋文化や技術や制度が取り入れられ、明治維新には既に欧米からの侵略は始まっていました。(陰謀論は除外します)
ペリー来航からの不平等条約、開国を余儀なくされ、大政奉還、薩長同盟、その後、日本は急速に工業化を進めました。
からの太平洋戦争、ペリーの親戚でもあるマッカーサーが再び日本国家の基盤を造り上げ、終戦からたった10年で日本は高度成長期を迎える。
そこから1973年までの日本の勢いは凄まじく、世界一の経済大国になる勢いがありました。日本人の優秀さはどんな状況でも発揮されてしまう。
アメリカに脅威を与え、日本製品がアメリカ中にも行き渡り、不買運動が起きるまでになる。
その後、1985年のプラザ合意。からの、1991年のバブル崩壊。
そこから何故か、どれだけ経済成長しても国民だけは潤うことはなかった。
上級国民以外は。
つまり、何を善しとするのかです。
是々非々という言葉も流行っていますが、ちなみに私は、常に中立の立場でもあり、グローバリズムにも良い所はあるとずっと言い続けて来ました。ここに拒否反応が出る方が洗脳されやすい方とも言えます。
また、この便利で豊かな社会が良いことだと思っている方は、私の話など一切耳を傾けないと思います。
西洋にも当然素晴らしい物があります。西洋医学も凄いです。文化も音楽も技術も、私も洋楽が大好きです。アメリカの人々でも当然良い人は沢山います。
アメリカの愛情表現でもあるスキンシップは日本でも取り入れたいと思っているほどです。
ですが、誰が支配しているのかは知りませんが、牛耳り過ぎているのです。
独裁と変わらないほどに。
憲法も、法律も、思想も、教育も、精神も、3S政策、禁書、焚書、嘘の歴史、政治、経済、医療、ほぼ全てアメリカ主導です。
確かに、西洋の技術を取り入れ、アメリカの属国となり、日本も経済大国となりました。
虐め抜かれていても、搾取されていても、外国に奪われていても、未だ経済大国です。日本人の優秀さと頑張りだけが物語っています。
ですが、ほぼ全てアメリカ主導の言いなりで搾取もされ続けています。
いや、アメリカと言うと語弊があります。DSと言ったほうが正確です。
いや、世界中に散らばってもいる。
ならば、日本も核を持とうじゃないかと言いたくなる気持ちも理由も分かります。
ですが、前回にも言いましたが、本当にこの社会の在り方が人間にとって良いのかです。
人間も壊し、動物も壊し、自然も壊す、アメリカ式資本主義経済。
核を持った国に敗戦し、その国の言いなりになり、文化も技術も制度も取り入れ、その中で頑張り経済成長し、自然を代償にしながら、便利で豊かな社会を造り上げて来た。
それが良い事だと、皆が和気藹々とし、笑顔で溢れ、お母さんに苦労をさせなくないと、それが本当の優しさであると。
ですが、欲深く自己中に無神経にもなり、虐め、非行、事件、犯罪、病気、買春、OD、ドラッグ、離婚、虐待、自殺。
お金お金お金。物物物。お金さえあればなんとかなると。
お金を持つことこそが幸せなのだと。
核を持てば、本当に良い世の中が創られるのか。
日本は本当に良い国になるのか。
バブルの時のように狂喜乱舞すれば良いのか。
そもそもなんでこんな世の中になっているのか。
アメリカですら自国民が虐げられているのに。
これほど、この世の腐敗が露呈し、それでも気付かないのであれば、人間は本当に終わるべきだと思っています。ひたすら似非平和を保とうとし、自然を代償にし、動物を代償にし、子供を代償にし、何時までも悪に対抗して延々と愚かな戦いを挑めば良いと思います。
私の結論に過ぎませんが、言いなりになるくらいなら、こんな世の中が造られるくらいなら、悪の為に死ぬべきだと20代前半の若造の頃に考え至りました。
この考えは今でも変わっていません。むしろ、年月を追うごとにより強固になっています。
究極的な思想になってしまうので、本来はこの理解の穴埋めをしないといけませんが、仮に説明を加えたとしても、理解には及んだとしても、現実的にはどうなのかという問題に直面します。
考え至ったのは、悪が蔓延るのなら蔓延れば良いということ。
いつかは悪同士で遣り合った末に、善の道を選択せざるを得なくなるから。
悪に対抗せず、やられたらやり返しもせず、ですが言いなりにもならず(ガンジーの非暴力不服従)、仮に悪の為に全員が殺され、悪い人達が蔓延る世界になったとします。
悪い人達は誰かを奴隷にして楽もしたがる訳ですが、善人が言う事を聞かないとなると、悪い人達の中で優劣を作り、悪い思考も持っているので、どう欺こうかと、どう謀反を起こそうかとなります。
これらを繰り返していると、人の数がどんどん減って行き、悪人同士ですから、殺すことも厭わないですから、ですが、ある時に気付くのです。
このままだと、楽をするどころか自分の命も狙われる。お互いで殺し合って人も減る。なんの得にもならない。それよりも仲良くしたほうが良いと。
結局は、善導の道に入るのです。ある意味、今がそうであるとも言えます。入り切らなければ、また謀反が起き、繰り返し、破滅するからです。
ですが、なぜ今も悪の世界が、巨悪の世界が造られて来たのかです。
そうです。言いなりになってしまった人間達がいたからです。
日本で言えば、核を落とされ言いなりになった人達です。
国民の命を全て奪われるくらいなら投降しようと考えたのかも知れません。
つまり、この現実に直面する訳です。思想よりも感情が勝ってしまう。
(※飽く迄も一般論であり陰謀論は除外しています)
惨劇、悲劇、迫害、家族の命、子供の命、国民の命、もう負けは決定している、これ以上国民の命を犠牲にしてはならない。
ですが、考えて下さい。これは悪に屈した訳です。
そして悪の言いなりになりました。
これは決して正義ではありません。
(※日本が悪いという事になっていますが、戦争に勝ったからといって牛耳り搾取するのは悪その物です)
国民の命が尽き果てるまで、戦争をしろと言っているのではありません。
そもそも攻撃してはならないのです。反撃してもならない。
仮に戦争が起きようとも、核を落とされたとしても、
非暴力不服従で、悪の言いなりにはなってはならないという事です。
たとえどれだけ殺されようと、何をされようとも、全滅させられたとしても。
これが正義であり、善です。
なんとか牧師も言っていましたが、「悪人の暴力よりも、善人が声を上げず沈黙すること、無関心でいることこそが世界最大の悲劇であり、それは共犯行為である」と。
私が言うのであれば、「悪人の暴力よりも、善人が言いなりになること、偽善者でいることこそが世界最大の悲劇であり、核を持とうとするのは共犯行為である」と。
時代によっては、言うことを聞かないとあっさり殺されてもいました。
また、あの手この手で拷問もし、妻の命や子供の命も引き合いに出し、生きることへの欲求、死ぬことへの恐怖、拷問への恐怖、大切な人の命によって言いなりになってしまう。
ですが、それがどんな結末を招いたのか。
今の世の中です。
今の世の中を善しとするのであれば、一生どこかの国の言いなりになり、若しくは言いなりにさせ、似非平和を堪能して生きれば良いと思います。
若しくは、その巨悪が造った、資本主義経済でお金持ちになり、豪遊ライフでも送れば良いと思います。
そもそも何故、人間世界は、感情論よりも思想が重んじられるのかです。
やっぱり言いなりになるのはいけないからと、もう時代も違うしと、でも、言いなりになって来たせいで、巨悪がとんでもない権力を持ってしまっている。
そこに対抗し、核を持たないと外交でも不利になるし、最悪攻撃されるかもしれないから、日本も核を持とうじゃないか。
ですが、それをしたら晴れて、悪の枢軸の仲間入りです。
自分達は核を持っても、自分達からは絶対に使わないからと、どれだけ御託を並べようとも、やってる事は一緒になります。
しかも、攻撃されたら、やり返すと言う。
これを偽善と言わずして、悪と言わずして何と言う。
そして、結局、殺されるのは罪もない国民たち。
嫁も子供も大勢が殺される。何十万人、何百万人と。
悪に対抗し、悪に取り込まれているだけ。
善とは一線を画す物。思想とは、理念とは、感情や命をも凌駕する。
この世の真理の1つとして言いたいのは、別に悪と張り合ったり、遣り合ったり、やり返したり、悪に勝とうとしたり、そんな事をする必要はないという事です。
ゲームでもドラマでも何でも善悪二元論での洗脳が行き届いているので、戦うことに帰結してしまうようになっているのですが、戦い方を履き違えてはならないという事です。
悪と戦うというのは、悪に屈しないこと。
それは攻撃ではなく、非暴力不服従。
攻撃は最大の防御と言われているように、これも悪ならではの発想であり格言ですが、核も同様で、攻撃力は最大の防御(抑止力)という理論なのです。
体中に銃をぶら提げて、俺を攻撃して来るなよ、分かってるな、とやってる事と一緒です。
その人間に脅された場合に、言うことを聞いてしまうのかどうか。
言うことを聞かず、もし全員殺してしまった場合、その悪人は1人になる。
嫌でも悟るのです。殺すのは良くないと。何の得にもならないと。
この直前まで行き着かせるのです。
さすがに悪人も馬鹿ではないので嫌でも気付きます。
そもそも、楽をしたくて、言うことを聞かせたくて武装するのですから。
その悪の為に、命懸けで善を貫くというのが私の理論であり、思想です。
ガンジーが既に、正義とは何か、善とは何かを示してくれています。
これは悪との戦い方にも繋がります。
ガンジーの運動の根源には、人が性善であるという思想に基づきます。
まさにその証明となった事例だとも思っています。
こんなことは、天使のような赤ちゃんを見れば解ることだろと正直思っていますが、現在では性悪性を唱える人が多くなっています。
非暴力不服従を断行し、たとえどれだけ殺されようとも、残虐非道なことをされようとも、拷問をされようとも、言うことを聞かない。
ですが、そこまで行き着きません。
大抵は言いなりになってしまうからです。
どうしても感情が勝ってしまうのです。
そして悪に力を与え、悪が牛耳る世界が成り立ってしまう。
ガンジーの非暴力不服従の思想が1人1人に求められているのですが、これは命懸けであり、揺るがない思想と強靭な精神力も必要で、今の日本人がどれだけ持てるのか。
たとえどれだけ殺されようとも、目の前で妻や子供が殺されようとも、残虐非道なことをされようとも、それでもやり返さない、攻撃しない、言うことも聞かない、悪に屈しないなんて、そんな思想、どれほどの人間が持てるのか。
今に日本人にできるのか。
私は正直、できると思っています。
コロナの時に知った日本人の聡明さ。
DNAに刻まれているのかと思った程の正義感と底知れぬ団結力。
一度日本人が気付いてしまえば、真っ直ぐ突き進む程の精神性を持っている。
インドの独立運動と同様に、多くの国民が同じ意識で動けば、敵意剥き出しの相手国の人も自然と武器を降ろして行きます。残虐非道な行為に及ぶ前に。
敵意もない、攻撃して来る意思もない人を、殺しても良いのかと考えるからです。国民は洗脳され大義を与えられてるだけですから、こちら側に敵意も、攻撃意思もなければ、それでも殺そうとする人のほうを悪人と見做し始めます。
つまり、お国の為、国民や家族の命を守る為にという大義名分を与えられた自衛隊がいるからこそ多くの国民が巻き沿いを食うのですが、これも現実的に変える事は難しいので、せめて国民だけは非暴力不服従を断行することが必要になります。
大事なのは、決して己の命や、家族の命を物差しにして考えてはならないという事です。
未来永劫、人間世界が続くというのであれば、真の平和を目指さなければならない。たとえどれだけ殺されようとも。
大量殺戮兵器を持っている時点で、造っている時点で、真の平和など何時までも訪れない。
権力争いをし、優劣を創り、何処かの国の人々を犠牲にする。自国の人々さえも犠牲にする。自然や動物たちも。
全ては核を持っている国々がやっている事です。いや、国ではなく人です。
権力を生み出したことで今の世の中が造られています。
それは言いなりになってしまう人間がいたからです。
己の命や家族の命を優先してしまうからです。
もっと言えば、己の生活や、地位の為に言いなりになってしまう人もいます。
職を失わない為、ハニトラ、脅されて言いなりになってしまう人もいます。
犯罪をでっち上げられ、刑務所に放り込まれてしまう人もいます。
モラル違反をでっち上げられ、社会的に抹殺される人もいます。
殺される人も、家を放火される人もいます。
ですがそれは、声を上げる人が少なく、言いなりになっている人達が多すぎるからです。
国民が知れば矛先は変わります。今はそれが叶う時代にも突入しています。
今こそ、上にいる人も、勇気を持って発言するべきです。
自分の為でなく、自分の子供や、未来の子孫、未来の人間達のことを想える人であればですが。
自由や権利や主権を獲得する為に巨悪に対抗しなければならないのか。
核を持ち、悪の道に加担し、偽善を振り翳し、似非平和を保とうとするのか。
平和を保つ為、殺戮兵器を造るなんていう偽善精神。いや、悪道精神。
日本は唯一、全世界を善導できる唯一無二の国。
その権利と条件を持っている唯一無二の国。
これを活かすのか殺すのか。
それでも国の利益を考え、滅ぼされるからと核を持とうとするのか。
感情をも超える思想を持つのか。それとも悪に屈するのか。
どの道、人は死ぬ。
どう生き、どう死ぬのか。
【余談】
仮にこの世だけであっても何も考えは変わりません。
ただ、私はあの世の存在も確信しています。死後の世界です。
これは様々なジャンルと物事で説明可能なのですが、科学においても説明可能なのですが、興味がある方はブログを参照して下さい。
確実にあの世はあると信じると思います。
なので、そもそも不平等や不公平など存在していないとさえ思っています。
あの世とこの世、若しくはそれ以上で1つの人生であるとも思っています。
つまり、本来は何も恐れる必要はありません。
私が一番恐れているのは、この世での罪作りです。
特に偽善を恐れて来ました。
自分では良いことだと思っている事が、誰の為にもならないということ。
それは目先のことだけではありません。何十年後、何百年後も考えます。
また、人だけには留まりません。動物や、自然に対してもです。
チョコレートが好きな太ってる友人に、チョコレートをあげるのは本当に良いことなのか、それは本当の優しさなのかという所から始まりました。
本当の優しさとは何なのかを、様々な物事で、ずっと考え続けて来ました。
核を持つことは、本当の優しさなのかということも。
【補足】
・「日本が世界一核を持って、兵器も世界一持って、軍隊も世界一養成して、そこから日本主導で核を撤廃し、平和な世の中を創ったらどうか」
⇒その前に潰されます。
・「悪い奴に道端で脅されても非暴力不服従なんてボコられて終わり。」
・「恐喝されて非暴力不服従しても金取られるだけやん。」
・「悪いのが家に入って来て非暴力不服従しても家を奪われるのでは。」
・「喧嘩売られても護身術も防御もしたらいかんの?」
・「嫁子供見捨てるんですか。」
・「正当防衛は?」
⇒この様に、様々な状況や感情による意見が入り乱れます。
飽く迄も戦争が起き、武装した人間が目の前に現れたらの話に留めて下さい。
根本的に言えば、それでも悪の前に跪き、手を後ろに回し、「何をされても言いなりになりません」「貴方に敵意はありません」「攻撃しません」とやるのが「善」です。
ガンジーの非暴力不服従とは、究極的な思想です。
感情や命をも凌駕する「思想」であり「善」です。
この域を行動で達するのは一筋縄では行きません。
時に、嫁や子供も殺され、大切な人の命を奪われもします。
ガンジーのしている事は悪だと、多くの人の命を奪ったと言う方すらいます。
銃によって暗殺されたのは皮肉だと言う方もいますが、この世に悪の思想と精神が、暴力や服従や殺人がある以上は、真の独立も、自由も、平和も訪れないというメッセージになっていると私は思いました。
まだこの世には、人間には多くの課題があるのだと。
全ての人がガンジーの思想に目覚めない限り、真の平和は訪れないのだと。
最期まで、悪の思想や精神に偏ってしまった人、それが正義だと思い込んだ人の為に、悪や偽善の為に殺されたのだと私は感じました。
また、ガンジーの思想や行動は、僧侶が何年も修行して身に付けるような「思想」と「精神」になります。
ですが、即身仏となる修行よりは遥かに軽い物です。
家に鍵を付けることもそうなのですが・・重要なのは「防衛」になります。
ですが正当防衛も相手を殺してしまえば、それは防衛ではなく「攻撃」です。
正当防衛は結果論に過ぎず、相手が殺そうとして来たのに殺されたと逆恨みするご家族の方すらいます。内容が複雑すぎて正当な物だったのかの判断をするのも難しい物です。
政府も何故「攻撃費」ではなく「防衛費」としているのかです。
攻撃することは良くないことだと思想的に理解しているからです。
現在は迎撃ミサイルもそうですが、量子科学により戦争の根本が覆されると言われています。AIや量子コンピューターによって、瞬時に計算ハッキングし、相手国が撃って来た核やミサイルを自国にUターンさせてしまうという。戦闘機も電子機器をハッキングされて操縦不能にし引き戻すことが出来るようになると。
だとしても、という見解もあり、根本的に核も武器も無くす事もそうですが、家に鍵を付ける事もそうなのですが、家に鍵を付けなくても良い世界にしないといけないのです。
私が小さい頃は、家に鍵を掛ける人はいませんでした。
旅行に行く時すら鍵を掛けていませんでした。
そんな時代すらあったのです。
今じゃ考えられませんが、玄関の鍵が何処にあるのかを家族が全員知らなかったほどで、近所で強盗があった時に、皆で鍵を探し、結局見付からず、鍵屋さんに鍵を作ってもらいました。
ですが、これも「現実的」に、不景気や、欲深さ、犯罪、洗脳、身を守る為の1つの手段として、鍵やセキュリティや防犯カメラなどの防犯意識も高まっています。
ですが、その「現実」も、何処が、誰が、何が造って来たのかです。
よく考えれば必ず繋がって来ます。
・「核を持たないにしても、言うこと聞かなかったら殺されるんじゃない?」
⇒これは世直しをしようとした政治家やジャーナリストが殺されて来たという話からです。
見せしめ要素や、生活も懸かっている事から、どうしても悪への歩み寄りが始まってしまい、自然と悪に加担して行きます。
美味しい話もチラつかされて、本当は良い心も持っているのに、どんどん悪の心に毒されて行き、従順に、言いなりになってる人達が殆どでもある。
縦社会、上司の言うことは絶対、セクハラやパワハラ、内部告発した人が責められるといった現象まで起きるくらいで、どれだけの人達が上の悪しき心に毒され加担しているのかと言う話なのです。
要は、不正を正そうとした人が、責められ、殺され、自殺してしまう人もいるのです。
賞賛されるべき事なのに、「大人げない」と言うのです。
もう頭も心も腐り切っているのです。いたのです。コロナ前までは。
独立や、自由や、権利や、平和は、武器を持たないといけないのでしょうか。
今こそ、日本でも、ガンジーの思想、非暴力不服従を断行するべきなのではないでしょうか。
この思想が世論に行き渡れば、国民の共通意識となれば、戦争も起きず、開戦したとしても国民は非暴力不服従、どんな悪の脅しにも屈しない、言いなりにならない、それが上にも伝われば、革命が起き、起死回生は起きる。
もちろん、自然や動物のことも考え、後退させる必要性はあります。
不便で豊かすぎない世の中も創らなければ、人間の未来はないからです。
と言いますか、この便利で豊かな世界の基盤も誰が造ったのかです。