「喧嘩するほど仲が良いって、そうだと思いますか?」
あぁ・・うん・・
「どう思いますか?」
ん~~、そういう次元の解釈もあるとしか答えられないです。
「そういう次元・・・そうじゃない次元があるんですか?」
私からしてみると、思いやるほど仲が良いなんです。
「は」
喧嘩するほどって、喧嘩ができるほど、喧嘩をずっと沢山していたとしても仲が良いという解釈で、それは、それでも離れない、仲直りもしているという含みがあるんです。
「はい。そうですね。」
うん。でも、喧嘩ばかりしていたら、普通はお互いが嫌いになって離れるというのが普通の流れなんです。
「(笑)そうですよね(笑)。○○○の○がそれ言ってて、仲良かったら喧嘩なんてしないだろ!って、私もたしかに!って思ったんです。」
それは解釈の次元のズレです。
「は?」
究極的に仲が良ければ喧嘩なんてしない。その通りです。
「はい。」
でもそんな人はまずいないんです。
「・・うん。」
聞いたことあります?夫婦でも友達でも彼氏彼女でも兄弟姉妹でも親子でも、一切、全く喧嘩もしたこともなくて、且つ、ずっと仲が良い人なんて。
「・・・ないです。」
なので、解釈の次元が究極的すぎて極論すぎて、一般論からズレすぎているので、私には屁理屈に感じてしまいます。
「・・・」
意見の相違があっても、どちらかが自己中で喧嘩になっても、離れない、最終的にはどちらかが謝ったり、どちらも謝らずに、また喧嘩をして、それでも離れずに、どこかのタイミングで、若しくは、何かご機嫌取りをしたり、時間が解決をして仲直りをする。そしてまた喧嘩をする。この次元のほうが一般的な流れになるんです。
「・・うん・・」
片や、私の言っている、思いやるほど仲が良いというのは、究極的でもなく、一般的でもなく、理想的な次元なんです。
「理想的な次元・・」
要は、喧嘩しても、意見の食い違いがあっても、最終的にはお互いの思いやりの心で、喧嘩の内容も、相違も、しっかり解決して、当然、お互いがより良い関係に、喧嘩もどんどん少なくなって行って、友情にも愛情にも幸せにも繋がるんです。
「・・優介さんの話ってマジでむずい時ある・・」
ごめんなさい。えっと、喧嘩するほど仲が良いって誰が言ったのかは分からないんですけど、恐らく私と同様の意味で例えたとは思うんですけど、
「はい。」
ただ、喧嘩するほど、という言葉だと、ずっとなのか、お互いが押し付け合う場合もありますし、大喧嘩に発展するという意味合いも持ってしまうので、
「子供のことで大喧嘩して押し付けて、ずっと仲悪い人いますもんね。」
いますね。責任転嫁の喧嘩が一番たちが悪いですね。
「そう(笑)そうなのよ(笑)」
なので、喧嘩するほどって、特定の条件が伴うので、お互いが未熟でも、喧嘩をしまくっていたとしても、お互いがお互いを感謝をしていたり、お互いをなんだかんだ思いやっていたりと、
「はいはい。」
その状態がないと成立しない言葉なので、いくらでも揚げ足取りが出来てしまう言葉でもあるので、なので、思いやるほど仲が良いって言葉にしてほしいんです。
「思いやってれば、喧嘩しても仲が良いってことですか。」
思いやっていれば、喧嘩をしたとしても、最終的にはどちらも歩み寄って、解決して、仲良くして、次第に喧嘩も少なくなって来るんです。
「あぁ」
だから、喧嘩をしても仲が良い。喧嘩するほどにお互いが成長し合って仲良くなれるという、それはつまり、未熟で一時的に感情的になったとしても、最終的にはお互いの思いやりの心に助けられて、仲良くなるという結末があるから、喧嘩するほど仲良くなって行くという因果も作り出されるってことです。
「(笑)(笑)また難しくなった(笑)」
今のは無しで(笑)