誰かを眩しいと感じる時

誰かを眩しいと感じる時

記事
コラム
誰かを眩しいって感じるとき、
その人の能力や立場や成果を見て
「すごい人」だからな気がしちゃうけど
実はそうではなくて。
「本気で自分を使ってる人」だから。
心の底から楽しんでやりたい!って自発的に
行動している人の放つエネルギー。
人が一番輝くのってそこなんだよね。
実績があるからでもなく
社会的地位があるからでもなく、
能力が高いからでもない。
自分のエネルギーのすべてを使って喜びから
現実を動かしているから、自ずとそういう結果も
ついてくるからそっちに目がいきがちだけれど。
揺るぎなく自分の人生を生きている感じ。
長男を見ていても、なんでこんなにキラキラ
していて眩しいんだろう?って思うと、
本当にワクワクしながら〝好き〟に
突き動かされたことしかやってない。
自分の心に嘘なく真っ直ぐに自分を動かして
自分の可能性を信じて邁進している。
眩しいって感じる人を見たとき、
そんな人と出会ったときは、
自分もそんなふうに本気で生きたい!って
感じてるサイン。
それはきっと、私の中にもっともっと
自分を表現したい!っていう魂の声が
あるからなんだと思う。
元々は男性性過多で、優劣比較の価値観強く
生きてきたクセがまだまだ根強くあるから
ときどきお試しくるし、そのたびに揺らぐよね。
劣等感みたいなのを感じたり、能力や才能や
努力で積み上げてきたカタチあるものに
圧倒されて、頭でわかっていても、やっぱり
心がギュッとなるときも時折りあって。
でもそれは本当は目に見えるものじゃなくて、
自分にない光が眩しいって感じてるし、
本気で自分を使って生きてる人へ湧く憧れ。
太陽がよくて、月が悪いんじゃないって
わかってるけど、華やかで前に出る人と
出会うといつもこの葛藤が出てくる。
でもこれは本当は優劣じゃなくて、
ベクトルの違いなんだよね。
でも人って、自分にない光を見たときについ
「足りない」って感じちゃう瞬間がある。
これまで長らくやってきた優劣で自分を測る
クセ、足りなさを見る視点。
これ、もうだいぶ手放してるけどね、
完全にはゼロにはならないし、
フェーズが変わるとまた、同じテーマが
より繊細な形で出てくる気がしてる。
「ゆっくり、じっくり、深く」で生きてる自分を
ようやく許せて受容してるけど、
「早く、たくさん、上手に」の最先端で
生きてる人に触れるとやっぱり憧れるし、
その葛藤がある。
でも人は本来、両性具有の生き物だから、
どっちかじゃなくてどっちもでいいんだって。
このバランスを自分の中で模索し続けることが
男性性と女性性の統合であり、
自分らしさのバランスなんだよね。
このプロセスこそが真の自己実現であり、
一生かけての終わりなき旅なんだ♡
癒しは創造のためにある。

自分の内側に湧いてくる想いに抗わず
流れを信じて創造していこう♡



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