自分がおかしいのか、分からなくなっていった理由
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コラム
あの頃の私は、
「何かおかしい」と思っているはずなのに、
同時に「でも、私の考えすぎかもしれない」と
何度も自分に言い聞かせていました。
はっきりした出来事があったわけじゃない。
怒鳴られたわけでも、露骨に傷つけられたわけでもない。
ただ、
少しずつ、少しずつ、
自分の感覚に自信がなくなっていった。
「さっきと言ってることが違う気がする」
そう思っても、
「私の聞き間違いかな」で終わらせた。
「なんだか傷ついた」
そう感じても、
「気にしすぎだよね」と打ち消した。
違和感はあった。
でも、それを“確信”に変えるほどの材料が、
どこにも見当たらなかった。
気づけば私は、
相手の言葉よりも、
相手の機嫌よりも、
**「自分の受け取り方が正しいかどうか」**ばかりを
確認するようになっていました。
おかしいのは、相手かもしれない。
でも、
「もし自分のほうがおかしかったら?」
その不安のほうが、ずっと大きかった。
今思えば、
それは一気に壊れたわけじゃありません。
小さな違和感が、
否定され、
流され、
なかったことにされていくうちに、
自分の感覚そのものが、信用できなくなっていった。
それだけの話です。
もし、今この記事を読んでいるあなたが、
・自分の感じ方に自信が持てない
・「私が神経質なだけ?」とよく思ってしまう
・何が起きているのか説明できないけど、しんどい
そう感じているなら。
それは、あなたが弱いからでも、
考えすぎだからでもありません。
ここまで耐えてきたあなたは、
ちゃんと状況を理解しようとしていただけです。
このシリーズでは、
誰かを断定したり、
名前をつけたり、
「こういう人は危険」と決めつけたりはしません。
ただ、
自分の感覚が分からなくなっていった過程を、
一つずつ言葉にしていきます。
それが、
「正気を取り戻す」ための、
最初の一歩だったから。
次回は、
なぜこんな状況でも
**「優しい人ほど、自分を疑ってしまうのか」**について
少しだけ、話します。
もしここまで読んで、
胸の奥が少しだけ苦しくなったなら。
それは、
あなたの感覚が、まだちゃんと生きている証拠です。