こんにちは、のえありでし。
以前から、ずーっとモヤモヤしていたのです…
アンケートなのに全員提出とか、名前書いて出せとか…
アンケートって、「自由なはず」だと私は認識していたものですから
やりきれない思いを常々抱いておりました。
本来、私の性格では「理にかなっていないことは気に入らない」のです…
でも、私にも"しがらみ"があるので
従うしかないことも多々あります。
そんな時、心の中で「けッ、だいたいさぁ…」とアンケートについて語り始める訳です。
心の声を…どうぞ
「任意です。自由です。ご協力は強制しません」
……って言いながら、未提出者には催促、
回収に来る寄付袋、無言の視線と圧。面接ばりの空気。
それ、ぜんっぜん自由じゃないからね!
広辞苑で意味調べてみなっっ!
…始めましょう。
■ 自由のフリをした圧力社会で、私たちはどう生きるか
「自由です」と言われて、ほんとうに自由だったことってある?
・「任意です」と言われたから断ったら、怒られた。
・「ご協力お願いできますか?」に首を横に振ったら、めっちゃ睨まれて
「チッ」て、舌打ちされた…
(勝手に声かけて、期待した反応が返ってこないことに、勝手に怒ってるとか…何にしたい?)
……それのどこに自由があるの?
なんでもかんでも強制にするのは時代錯誤
(【時代錯誤】現代にそぐわない、古くさい考えや行動をしていること。)だ、っていう建前のもと、
最近はやたら「任意」や「自由参加」が多いね。
でもそれって、ほんとに自由なんだろうか?
任意(にんい)とは、広辞苑によれば、
①自分の思うままにすること。
②相手の自由意志に任せること。強制でないこと。
つまり、「やってもいいし、やらなくてもいい」
本人が「したい」と思ったときにするのが前提であり、
強制された時点で、それはもはや“任意”ではない。
「思うまま」「自由意志」「強制でない」
これらの言葉が示すのは、断っても不利益を受けず、
他人の顔色や空気に縛られない、本来の“自由”なのだ!
■ 「任意です」と言っておいて、なぜ催促されるのか
まずは定番中の定番、アンケート
アンケートの定義とは?
「アンケート(enquête)」はフランス語で、
「調査」や「意見を集めること」を意味します。
つまり、本来は「自由に意見を言えること」が前提です。
☆選択肢だけでなく自由記述もOK
☆無記名でもOK
☆回答しない自由もある
それがアンケートの基本的な姿です。
アンケートのあるべき姿
☆匿名で回答できる
☆書きたくない設問はスキップできる
☆「その他」や自由記述欄がある
☆回答によって不利益が生じない
法律的な視点からも
日本の「個人情報保護法」では、個人情報を不必要に強制取得することは禁止されています。
アンケートの名を借りて個人情報を集める行為は、場合によっては法的にも問題となる可能性があります。
だのに…
「回答は任意です」→ でも未提出者には催促
「自由にご記入ください」→ 本音を書いたら呼び出し
「匿名です」→ なのにログイン必須、ID記録あり
え、これってもう、アンケートじゃなくて報告書じゃない?
心理学的には「同調圧力」が働いている。
人は無意識のうちに「みんなと同じ行動」を取ろうとする。
これを同調圧力という。
特に日本では「空気を読むこと」が美徳とされていて、
周りが提出していたら、「自分も出さなきゃ」という気持ちになる。
しかも、「出さなかった人の名前はわかります」なんて言われたら、
もう実質的には強制だよね。
そして「フット・イン・ザ・ドア」もよく使われている。
最初に小さなお願い(簡単なアンケート)を了承させ、
その後で大きな協力(具体的な意見、改善策)を求める手法。
「ちょっとだけだから」「1分で終わるから」と言っておいて、
書き終わったあとに「さらにご意見を」と続けられるあの展開。
(2分で終わりますから…て全然話終わらないやつね…詐欺の域だよね…)
……営業かよ。
■ 「寄付は自由です」なのに、なぜ家に来るの?
町内会、学校、地域のイベント、災害時……寄付の場面って多い。
寄付とは
「したい人だけがする自由な贈り物」のはずが、
「出さないと居づらい」「形式だけの“任意”」になった瞬間、
それはもはや寄付の顔をした義務と化す…
「気持ちでいいんです」→ でも相場が決まっている
「ご協力をお願いします」→ でも集金係が来る
「名前は書かなくても大丈夫です」→ 書かないと何か言われる
これ、ほんとに自由?
心理学では「罪悪感を利用した支配」と呼ばれる。
これはギルトアピール(罪悪感の訴求)
「あなたが断ることで、他の人が困るかも」などのプレッシャーをかけ、
人の良心を逆手に取って“従わせる”方法。
たとえば
「寄付は自由ですけど、出さなかったのはあなたのお宅だけでした」
いや、それもう脅しやん。
そしてもうひとつ
「寄付=善意」というラベリングの罠もある。
人は「自分はいい人でありたい」と思って行動する。
それを利用して
「寄付をしない=冷たい人」と無言で刷り込む。
これはラベリング効果といって、
「この行動をする人は〇〇な人です」というイメージを押しつける心理。
その結果、断ること自体が“自己否定”みたいに感じてしまう。
でもほんとは、「出さない=悪」じゃない。
出す出さないは “自由”
■ 「任意」を装った強制、他にもこんなにある
・町内会:加入しないとゴミ出しNG、回覧板も来ない
・学校のPTA:断ると名指しで残る。「非協力的な親」扱い
・学校ボランティア:不参加だと“評価”に響くかもと噂される
・会社の自己評価:書き直しを求められる「自由記述」って何?
(会社の教育でアンケートがあったから、「つまらなかった」って書いたら激怒された…書いちゃう私も私ですがね…)
・職場の祝い・香典:空気で「◯千円」が決まってる。断ると陰口
これ全部、「形式的には任意」だけど、断れない空気が張りついてる。
人は「曖昧な状況」に不安を感じる生き物だ。
「自由参加」や「任意」と言われると、
「え、ほんとはどうしたらいいの?」と戸惑って、結局“従う”方向に逃げる。
これは曖昧性回避という心理的な性質。
さらに、「ダブルバインド(二重拘束)」という状態もある。
矛盾したメッセージが同時に出され、どちらを選んでも損をする。
「ご都合が合えばで大丈夫ですよ、でも希望を出さなかった人から選出します。」
「寄付は自由です、でもみなさん出されます。」
「自分で飛び込むのと、押されるのどっちにする?」
(ドラマとかで…)
「自分で死ぬのと、殺されるのどっちにする?」
(サスペンスとか…)
「自分でやるか、やらされるかどっちにする?」
(極端だけどわかりやすいとおもって…)
選ばせてるように見せて、選ばせていない。
そんな状況が続くと、人は「どうせ何をしてもダメなんだ」と感じやすくなる。
これは心のエネルギーを奪う、静かな支配だ。
■ 白か黒かなんて、誰が決めた?二分法の誤謬(ごびゅう)とわたしの選ばない自由
「AかBか、どっちなの!?」
「賛成か反対か、ハッキリして」
「やるの?やらないの?どっち!」
……って、そんなに急かさないでほしい。
なんで、どっちかしかないことになってるの?
世の中ってほんとはもっとグラデーションなのに、
「白か黒か」「YESかNOか」「正義か悪か」って、極端な二択に押し込められること、ありませんか?
それ、心理学では「二分法の誤謬」っていいます。
誤謬(ごびゅう)っていう言葉、聞き慣れないかもしれないけど、
これは「もっともらしく見えるけど、実は間違ってる考え方」のこと。
つまり、思考のトリック。
そして二分方の誤謬は、ほんとは選択肢がいろいろあるのに、
無理やり2つに絞って「さあ選べ」と迫るやり口。
たとえば、
「協力するの?しないの?」
「あなたのためを思って言ってるのよ。それでも反発するの?」
「家族なら助けるのが当然でしょ?」
……選ばなきゃいけない空気。
でも、ほんとはどっちもイヤ、ってこと、あるよね?
こういう二択に踊らされて、私たちは疲れていくのです。
そして、「選ばない自分はダメだ」と思い込まされる。
でもほんとは、選ばない自由だってある。
選択肢を増やすという視点だって持っていい。
気づかないうちに、選ばされてる私たち。
でも、名前を知るだけでちょっとラクになる。
「それ、二分法の誤謬じゃん」って、心の中でツッコめるようになるから。
だから私は、こう答えるのです。
「いえ、私はグレー寄りのベージュで生きてますので」
「選ばないという選択肢で」
「この問い自体が愚問ですな(ニッコリ)」
そうやって、小さな反抗を続けてる。
だって、なんか面白いから…アハハ
■ どうすれば、心の自由は守れるの?
じゃあ、私たちはどうすればいいんだろう。
「全部断れ」なんて言うつもりはございません。
現実にはムリだし、角も立つ。(みんなそれぞれ、"しがらみ"があるのだから…)
でも
「これは任意のフリをした強制だ」と気づくこと。
「断ってもいい」と自分に許すこと。
「これは自分の意思じゃない」と自覚すること。
この3つが、心のスペースを守る第一歩になる。
そして
「やらなきゃ怒られるから」ではなく、
「やりたいからやる」「納得してるから協力する」
これを内発的動機づけと呼ぶ。
ストレスや後悔が少なく、満足度が高くなる選択。
逆に
「怒られないため」「損しないため」は外発的動機づけ。
これは「やらされ感」「不満」を生みやすくなる。
一度、自分の動機を見直すだけでも、心の自由度は変わるのです…はい。
今回はこんな心理が登場しました
① 同調圧力(どうちょうあつりょく)
「みんながやってるから、自分もやらなきゃ」という無言のプレッシャー。
日本では特に強く、空気を読む文化ゆえに「出さないと目立つ」と感じてしまう。
だから“任意”でも出してしまう。
② フット・イン・ザ・ドア
「ちょっとだけお願い」が、気づけば「ズブズブ依頼」に化ける技法。
最初に小さなお願いをOKさせて、次第に大きな協力を引き出す。営業や勧誘でもよく使われる。
③ ギルトアピール(罪悪感の訴求)
「あなたが断ると、みんな困るよ?」の圧力。
寄付やボランティアのシーンで多用され、「断った自分=悪い人」と感じさせる心理操作。
良心を逆手にとる、ちょっとずるい手口。
④ ラベリング効果
「〇〇する人は、△△な人」というレッテル貼り。
「寄付をしない人=冷たい人」などの印象づけがされると、つい従ってしまう。
自分の“いい人イメージ”を守りたくなる心理。
⑤ 曖昧性回避(あいまいせいかいひ)
「自由です」「任意です」と言われると、逆に怖い。
どうしたらいいか分からない状況に人は不安を覚え、結局“従う”方を選びやすい。
曖昧より、はっきり「強制です」と言われたほうがラクなことも。
⑥ ダブルバインド(二重拘束)
「どっちを選んでも地雷」という、心理的な罠。
「自由でいいですよ(でも出さないとあなたの印象悪くなるかも)」など、
矛盾したメッセージに縛られて、逃げ場を失う状態。
⑦ 二分法の誤謬(ごびゅう)
「白か黒か」「賛成か反対か」しかないと思い込まされる思考の罠。
本当はもっと選択肢があるのに、極端な二択に押し込まれていない?
グレーだっていい、ベージュでもいい。それが“わたしの選択”かもしれない。
⑧ 内発的動機づけ vs 外発的動機づけ
「やりたいからやる」か、「やらされてるからやる」か。
前者(内発)は満足度が高く、後者(外発)はストレスや後悔を生みやすい。
自分の動機を知ることが、心の自由を守るカギになる。
■「自由とは、最大の不自由である」
私たちは選べるように見えて、
「選ばなかったときの恐怖」に縛られてる。
任意とは、本来 “選んでも選ばなくてもいい” こと。
でも現代社会では “選ばない自由” に罰をつけたがる。
だから私は、選ばないという選択を、
ニヤニヤしながら選ぶのです。
それは怒りじゃない。
皮肉と知性、そして人間らしさだと思うのです。
心理を知っていれば、
「これは操作だな」「今、誘導されてるな」と気づけるようになる。
それは、
心の自由を守る第一歩となるでしょう。
と言うことで…
だだの愚痴でした~。
でもね、そう遠くないと思うんだ…
誰かも同じような、理不尽さや、やりきれない思いをどこかに抱いて
今を一生懸命生きてる…
自分はこんな事考えて、おかしいのかな…
腹が立つけど、諦めるしかない…
そう思って、下を向いたままでは…かなしい…
なら、
考え方を変えてみたらどうだろうか?
現状を楽しむなんてのはどうかな?
状況は変わらなくても、クスッと笑うことは出来る。
誰も笑わせくれないなら、自分で自分を笑わせばいいよ!
くだらない事を、繰り返して言ってると、笑ってたりするよ。
「くだらない事を繰り返す」って、お笑いの技でもあると思うんだよね。
なんにしても…少しでも生きやすい方がいい。
私は変だから、なんで?を追求したり、口では発言しなくても、心の中で常に突っ込み入れて、笑を堪えてたりするよ。腹黒なんで(笑)
でも、反抗しなくなったら、自分が苦しいくなる。
子供のように、ストレートには無理だけど(やったらヤバいひとになる…からね)
要領よく、反抗すれば問題ない。
人間の良いところ…良くも悪くも…知能があるという事ですよ。
これが、「大人の嗜み」…な訳ないか(笑)
今回も長くなってしまいましたが、最後までお付き合い、ありがとうございます。
笑顔が一つ、また一つ、増える事を願って…
今回は素敵な曲を紹介して終わりたいと思います。
お時間の許す方は、聞いてみてください。
綺麗な音に包まれて、綺麗な絵に飲み込まれて。
私の気持ちのようで、誰かの気持ちのようで、
泣きたかった感情に、そっと触れてくる一曲です。
まっすぐ沁みます。
ロクデナシ「心の奥」/ Rokudenashi - Deep Down【Official Music Video】
YouTube
ロクデナシ / Rokudenashi
それでは次回に。