「私」という幻・・・

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学び
「私」という幻を見つめ
ふと立ち止まった瞬間、
胸の奥に小さな問いが生まれます。
誰の声でもない、どこからともなく
湧き上がるこの問いは、とても静かで、
しかし確かに、内側「私」という存在を
えぐるように囁いてきます。

「私」とは、一体何者なのか?

生まれたての赤子に「私」はありません。
名前もなく、言葉もなく、区別もない。

ただ、この世界に存在としているだけで
そこには思考も存在しません。

母の匂い。
父の声。
温もりの中で、呼吸と共に生きているだけです。

そこには「私」が生きているという意識さえ、
まだ存在していません。

けれど、時が経ち、
「これはあなたの名前」
「あなたは男の子・女の子」
「あなたはこうあるべき」

そう言葉とルールを教え込まれ、
境界が生まれ「私」が生まれます。

そして私たちはその「私」を守ろうとし、
磨こうとし、証明しようとして、
人生を使いはじめます。

「私」を探している間は・・・

「私は正しい人間でありたい」
「私は愛される存在でいたい」
「私はもっと成功したい」
私、私、私‥‥

そうして走り続け、
気づけば、“私”というイメージを守るために、
心がいつも緊張しています。

でも、時にこう思うことはありませんか?

「これが本当に、私なのだろうか?」

本来、何も持っていない

禅では「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」と説きます。
“本来、何も持っていない”という意味です。

私たちは、最初から何者かになる必要などなかった。
何者かになることで、何かを満たそうとする限り、
満たされない“私”という幻影が、
いつまでも追いかけてきます。

よく「悟りとは何か」と問う人がいます。

老師👨‍🦲はこう言います。
「茶を飲め。」

今この瞬間に在れ、ということ!
思考を手放し、
評価を手放し、
「私」という名の鎧を一時下ろし、
ただ、茶を飲む。
ただ、歩く。
ただ、呼吸する。

それだけで、「今ここに在る🧘🏼‍♀️」ことを
感じることができます。

もしあなたが今、
何かを求め、
何かが足りず、
何者かになろうともがいているなら、

一度その“求める心”そのものを、
静かに見つめてみてください。

それは、どこから湧いてきたのでしょうか?
それは、本当に自分の声でしょうか?

この世で最も見失いやすいもの!
それは、自分です。

しかし皮肉なことに、
「私」を探している間は、
本当の自分には決して出会えない。

出会うためには、
「私」という観念そのものを、
そっと手放す必要があるのです。

風が吹いている🎐
鳥が鳴いている🐦
心が空っぽの状態の時🧘🏼‍♀️
本当に自分が静かにそこにいます。
ただ感じていれば
それだけで十分なのです。

それを感じている存在
それが、言葉になる前の本当のあなたです。

瞑想的生き方・・・

今日、静かな場所で、
深く一度、呼吸してみてください。
あなたが「私」という名札を下ろしたとき、
そこに何が残るのでしょうか…

その静かで、言葉を超えたあなたが
本来のあなたなのかもしれません。

瞑想とは🧘‍♂️、どこにも行かず「今」ここに在ること!
「今」ここ以外に道はないということの実践です。
是非、瞑想的生き方を実践してみてください。

今日も在るもの
すべてのものに感謝🙏






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