保育士試験のあり方は、このままでよいのか
4月18日・19日の2日間にわたり、保育士試験が実施された。今回の試験内容はどうだったのか。
私は、保育士試験に対して『想い』という投稿で発信している。
現場でほとんど使われない知識が、高いレベルで求められているのではないかという点だ。
もちろん、国家資格として一定の厳格さが求められることは理解している。幅広い知識を持つことの重要性も否定するつもりはない。
しかし一方で、現場に入ってみると、試験で学んだ知識の多くが直接活用される場面は限られている。
このギャップは、本当に適切なのだろうか。
受験者の声から見える違和感
試験後、『X(旧Twitter)』では、さまざまな意見が見られた。
「福祉系の資格を持っていても難しい」
「社会福祉の問題は、本当に保育士に必要なのか」
「マニアックすぎて、方向性が分からない」
「参考書にない細かい部分が出題される」
これらの声は一部ではあるが、共通しているのは、「試験内容と実務の距離感」への違和感である。
「広い知識」と「必要な知識」のバランス
保育士という仕事は、福祉・教育・医療など、さまざまな領域と関わる。そのため、広い知識を持つこと自体は確かに重要だ。
ただし問題は、その知識の扱われ方である。
保育士としてどの知識を「基礎」として重視するのかどの知識を「発展」として位置づけるのか
このバランスが適切でなければ、学びの方向そのものがズレてしまう。
現場で求められている力とは何か
近年、不適切保育や虐待といった問題が社会的に注目されている。こうした状況の中で、現場で求められているのは、
子どもの状態を見極める力
危険を予測し回避する力
保護者と適切に関わる力
チームでの連携する力
といった、極めて実践的な力である。
たとえば、
嘔吐処理の手順
誤嚥や窒息のリスク理解
熱中症への対応
感染症対策
こうした知識は、日々の保育に直結する。
歴史や制度の理解も重要ではあるが、しかし、命に直結する判断と同じ重みで扱うべきなのか。この点には、やはり疑問が残る。
難しさは必要だが「方向性」が問われる
試験が難しいこと自体を否定するつもりはない。むしろ、質を担保するためには一定の難易度は必要である。
ただし、その難しさが
「現場での判断力を高める難しさ」なのか、
それとも「知識の細部を問う難しさ」なのか。
ここは大きく違う。
もし前者であれば、多くの受験者は納得できるだろう。しかし後者に偏ると、試験の意味そのものが見えにくくなる。
試験制度の構造と受験者負担
もう一点、気になることがある。それは受験料と試験内容の関係性である。
保育士試験は、1回約13,000円の受験料が必要となる。
たとえ9科目中、1科目のみの受験であっても、同額が求められる仕組みだ。
この金額そのものが問題だと言いたいわけではない。国家資格として一定のコストがかかることは理解できる。
しかし問題は、その対価として問われている内容の在り方である。
現場と結びつきの薄い、いわゆる“マニアックな問題”によって不合格となり、再び同じ費用を支払って受験しなければならない。
この構造が繰り返されるとき、受験者の中には、
「お金を稼ぐ(受験料を取る)ための仕組み(問題)なのではないか?」
もちろん、制度として意図的にそう設計されていると断定することはできない。しかし、そう受け取られてしまう状況そのものが問題なのではないだろうか。
実際には、
⒈保育士として直接関係の薄い内容で不合格になる
⒉再受験のたびに13,000円を支払う
⒊それが何度も繰り返される
この状況に直面したとき、あなたなら「次受かれば」とポジティブに捉えられますか。
受験者の心には確実に負担が積み重なっていく。「また落ちたらどうしよう」「この試験は本当に自分に必要なのか」
そうした思いが重なり、挑戦を続ける気持ちそのものが削られていく。
さらに深刻なのは、その先にある感覚だ。
それでも保育士を目指し、子どもと関わりたいという思いが、試験によって消耗させられているのではないか。
そう感じてしまう人がいることは、見過ごせない。この現実を、どう受け止めるか。
私は、この現実を多くの人に知ってもらいたいと思っている。
そして、
なぜこのような構造になっているのか。本当にこの形が最適なのか。受験者にとって、現場にとって、意味のある試験になっているのか。
多くの人に考えてもらいたいと思っている。
保育士不足という現実との矛盾
現在、保育士不足が課題とされている一方で、資格を持ちながら現場に出ていない「潜在保育士」は増えている。
この状況は、単なる人手不足ではなく、仕組みの問題を示している可能性がある。
試験内容と現場の乖離不必要に高いハードル途中離脱の増加
という構造が見えてくる。
問うべきは「難易度」ではなく「設計」
ここで重要なのは、「試験を簡単にするかどうか」ではない。
本質は、
・何を測る試験なのか
・どの段階で何を求めるのか
・現場とどう接続するのか
という設計の問題である。
もし設計がずれていれば、それは質の担保ではなく、人材を入口で取りこぼす仕組みになってしまう。
現場の声は届いているのか
試験後、『X(旧Twitter)』などには、多くの声が投稿されている。しかし、それが実際に問題作成者へ届いているのかは分からない。
発信することは大切だ。ただし、それだけでは制度は変わらない。
必要なのは、現場の視点を届く形で伝えていくことである。
最後に ― 次の一歩として
これまで私は、⭕️❌クイズという形で、保育の現場に即した考え方や判断を発信してきた。
その背景にあるのは、
現場で本当に必要とされる力と、現在の試験で測られている力との乖離である。
保育は、知識を問う仕事ではない。その場で状況を読み取り、子どもにとって最善の関わりを選択する、極めて実践的な仕事である。
にもかかわらず、現行の試験は、必ずしもその力を測る構造にはなっていない。
そこで私は、考えている。
「保育士」から「保育志」へ。
単に資格を取得するための試験ではなく、
保育に対する志を持った者が受ける試験。
・現場で求められる判断力
・子どもとの関わり方
・状況に応じた対応力
そうした力を中心に据えた、
現場に沿った新しい評価のあり方である。
これは、既存の保育士試験を否定するものではない。しかし同時に、現行の試験だけでは測りきれない領域があることも事実だ。
だからこそ、もう一つの軸として、
「現場で生きる力を問う試験」
を社会に提示することに意味があると考えている。
現場の保育は歴史の年号・法律や憲法の知識だけでは子どもは守れない。
最後に問われるのは、
目の前の子どもに対して、どう判断し、どう関わるかである。
その力を正しく評価する仕組み。
それが保育の志を持った「保育志」という考え方であり、これから形にしていきたい一つの挑戦である。
もし共感していただけたなら、この問題についてぜひ一緒に広げ、考えていけたら嬉しいです。
そのために現在
クイズとして「場面」の投稿
参考文として「♠︎」の投稿
をしていますので合わせてみてみてください。