鏡としての わたし

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こんばんは♪


本当に今の季節は気温のアップダウンが大きいですね。
今日は少し肌寒く感じました。みなさんも元気に過ごせていますように。


最近「鏡」という表現が、何度か現れてきました。


鏡といえば、私たちの本質は本来、すべてをそのまま映し出す美しい鏡のようなものです。


けれど、生まれてから教えられてきたことや常識、観念が思考となってその鏡を少しずつ曇らせていきます。


サラさんも、過去の記憶の中で大勢の中にいても一人でいるような孤独の痛みを感じたことがあり、複数人の中に身を置いたときにその痛みが、ぎゅっと浮かび上がることがありました。


本当はただ、過去の痛みが反応として現れているだけなのに・・・


つまらないと思われているかもしれない
嫌われているかもしれない


そんなふうに、そこから生まれた考えを長い間つかみ続けていた時期もありました。


今でも、ふと痛みが顔を出すことはあります。
けれど、その反応のストーリーに入っていくのではなく、ただその感覚と一緒にいる。


たとえば、胸のあたりがぎゅっとする感じや少しざわっとするような感覚に、そっと意識を向けてみる。
すると、ふっと静かに戻っていくような感覚があります。


曇りを追いかけ続けるのではなく、ただ、そのままにしておくような感覚です。


痛みや苦しさは、反射的に自然と生まれます。
でも、それだけなんです。


そこから広がっていく反応やストーリーは、今ここに実際にあるものではありません。


もし「またぐるぐるしているな」と感じたとき、
それに気づいている時点で、もうすでに少し引いたところから見ている視点が生まれています。
それは、本来の静かな自分へ戻ろうとしているタイミング。


反応してる自分がいるな。
これは反応の内容だな。


こんな風に、内容ではなく少しだけ勇気をもってそのときに生まれている純粋な感覚のほうにそっと意識を向けてみてください。


きっと、それぞれの方のタイミングで「あ、こういうことか」と感じる瞬間が自然と訪れるのではないかなと思います^^










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