崩されて生まれてくるもの

崩されて生まれてくるもの

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コラム
おはようございます。


それぞれの場所でいのちの音発せられてるんだろうな^^
実家に帰って久しぶりにお友達に会えて嬉しかったし、
家族で1つの事に向き合うという体験があって、
甥っ子、妹、両親とそれができて
家族っていいなって改めて感じました。


血の繋がりなくても今、いのちの働きの中では
それを生きてるのだけど、
人間の体験的にそれがもう一度できたらいいなという
希望はふと浮かんだりします。


最近近しくやりとりしてた人とは
それができるかな?って感じるところもあったけれど
その感覚も当てにならず
いのちの働きによって打ち消されてしまいました。


私たちの都合によって
いのちの働きは起きてるのではないですね。
改めて・・・
私感覚が崩されていきます。


感覚がそこに一致することもあればしないこともある。
それが自然なのですね。
いかないことで、都合は崩されて
人間的な拘りはまたひとつ解けていきます。


最近、昔ツインレイという概念に拘っていたときの
そのご縁ある存在と、その奥さん、またその方たちの
近しい存在とグループラインするという
出来事が起きてきました。
きっと昔なら考えられなかったけど
今では自然にそれができていて、
関わりが生まれたことにとても喜びを感じました。


いのちの働きはどんなことが起きてくるのか
私たちにはわからないけど、
どのように見えても
調和の中にあることはどんなときも変わらない。




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