神さまの居所

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コラム
おはようございます。


今日は清々しいお天気ですね。
昨日はなんだ?というくらい沈んでいましたが
私たちは個別で存在しているのではなく
その場とひと繋がりなのだということ
身をもって感じさせてもらえた気がします。


この間お散歩コースの神社で
いつものように、手を合わせていた時
ふと、おみくじが目にとまりました。
古より人々は知恵を絞り、工夫を凝らして暑さ寒さをしのぎ
厳しい季節に順応してきたのである。
神さまの御心に従い、知恵の泉を枯らさぬように・・・
というようなことが書かれていました。


お天気もこころ模様も、自然であって神さまの御心ということでもあるのですね。
お天気とも、こころともうまく順応して付き合っていくしかないですね。
追いやろうとするのではなく^^


そうそう、古(いにしえ)ということで、
古では、神さまはこころに宿る、内面に神聖さの泉があるというように
認識されていたようですが
時代と共に、外にそれがあるという風習へと変化してきたようです。


神社には鏡が祀られているのも
自らを映し出され、内側の神さまが宿ることを教えてくれていて
かがみの『が』を取ると かみ が現れる。
神を我が見えなくしてる、感じられなくしていますよと
言葉にはその想いが込められているのでしょう。


お祈りするときは、その我を捧げるような心地で
ありがとうという気持ちで手を合わせています。
すると、全体に溶け込むような心地が生まれてきます。
身も心も全体の中に溶けるような感じ・・・
とても清々しく、これが内なる神さまに触れるということなのだなと
感じます。
こう感じるから、この場所には神さまがいると
場所が祀られるようになったということもあるようです。


本質は私たちの内面に神聖さは宿るのだけれど
そんなはずないという人の卑下の気持ちが
見えなくしていったのですね・・・


その思いが両親、そのまた両親から引き継がれ
このままではだめよ。
もっといい子になりましょうと育てられることで
”このままではだめだ”という
想いが深く染み込み引き継がれてしまった。
その想いが垢とも表現されて
それがない赤ちゃんは無垢、垢が無いと言えます。
言葉ってすごいですね。


あなたもわたしも本来、神聖さそのもの・・・


そのことを信じることが、自分を信じるという力にも
繋がるのですね。
神聖さそのものである自分自身を信じてあげられますように・・・





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