いつも何度でも

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コラム
おはようございます。


ふと『いつも何度でも』を聴くことが現れて・・・
昨日は久しぶりに聴きながらお散歩するということをしてみて
自然の中で音も心地よく、歌ってしまっていました~。


外国人の女性がハープを弾きながら歌っているものです。
サラさんは昔からこの動画が好きです。
(外部のリンク貼れなかった・・・)


生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

はじまりの朝の静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに みつけられたから ♪


歌詞の一部を抜粋したものです。
いのちの様子を表現している歌詞のように感じました。


生も死も分離した個人的なことではなく
このひとつのいのちの様子の中に現れるものたちの
移ろいゆく景色の一部分。


私たち人も、花も、風も、街も みんな同じ


考えがやみ、思考が無くなっているとき
空っぽのからだは
充ち充ちしたそのいのちの輝きそのものが現れる


たとえ、絶望の淵にたたされてるときも
思考でぐるぐるしているときも
その鏡にはいつも
新しい いまここの様子
景色が映し出されている


今が苦しいから
不足感を感じることで
外の世界 知識の世界に、何か隙間を埋めるものを
探し続けてきたけれど


もう探さなくていいし
改めることも何もないと気づく
この様子しかない
いのちの様子
わたしの中に
それはいつも息づいてる


歌詞を通して
サラさんが感じていることを表現してみました。


いのちの様子を感じていて
最近サラさんも詰まりとして感じたことだけど
重さ、詰まりに感じていたことは
~しないといけない
そのエネルギーでした。


私たちがこの世で当たり前とされてる
親切にすることのように
良きこととされる中に
~しないといけない が潜んでるように感じたのでした。


もともと私たちには
しなければいけないことはないのですね。
それはいのちからすると、とても不自然です。
親切にしなくていいということではなくて
親切にすることは良きことだとすると
そうでない様子が現れてきたとき
葛藤が起きてきます。


そしてそのしようとする動きもまた
良きことだとしても抵抗で不自然なのでした。


そんな些細なことに気づき
まだ しようとする重さがあることに気づいたのでした。


しようとしなくても
自然に起きてくる
それぞれを通して現れる表現。


慣れ親しんだ記憶からの様子に反していても
起きたことはそれでいい
そうでしかないのだから・・・


















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