本当は気づいてほしいのに、自分からは言えない
少ししんどい日に、「大丈夫?」と聞かれても、反射的に「大丈夫です」と答えてしまうことがあります。
本当はもう少し聞いてほしい。
できれば、「本当に?」ともう一度尋ねてほしい。
けれど、自分から「つらい」と言うのはためらわれる。
そのまま誰にも気づかれないと、「どうして分かってくれないんだろう」と寂しくなることもあります。
言わなかった自分にも理由があるのに、気づかなかった相手にも少し腹が立つ。
そんな複雑な気持ちは、決して珍しいものではありません。
“察してほしい”の奥には、言葉にする怖さがある
臨床心理学では、人は自分の気持ちを相手に伝えるとき、その後の反応まで予想すると考えます。
「つらい」と言ったら、面倒だと思われるかもしれない。
心配をかけるかもしれない。
大したことではないと言われたら、もっと傷つくかもしれない。
だから、自分から言う代わりに、「本当に大変なら相手が気づいてくれるはず」と期待することがあります。
気づいてもらえれば、自分から助けを求めなくても済みます。
察してほしい気持ちは、甘えというより、拒まれる怖さから自分を守る方法になっていることもあるのです。
全部を説明しなくても、小さく伝えてみる
気持ちを伝えるというと、事情を最初から最後まで話さなければならないように感じる人もいます。
でも、「今日はちょっと疲れてる」「少し話を聞いてほしい」くらいでも構いません。
うまく説明できなくても大丈夫です。
相手に気づいてもらうのを待つだけではなく、自分からほんの少しだけ手がかりを渡してみる。
それでも相手が十分に応えてくれないことはあります。
けれど、それはあなたのつらさが小さかったという意味ではありません。
自分の気持ちを伝えることと、相手がどう受け取るかは、分けて考えてよいのです。
「言えないままの気持ち」を話せる場所もある
長い間、「大丈夫」と言うことに慣れていると、自分でも何を話せばいいのか分からなくなることがあります。
そんなときは、「本当は気づいてほしいのに、いつも大丈夫と言ってしまう」と、そのまま話し始めてもよいのです。
安心して話しているうちに、自分が何を我慢していたのか、何を分かってほしかったのかが少しずつ見えてくることがあります。
人に気づいてほしいと思うことは、人とのつながりを求める自然な気持ちです。
ただ、いつも察してもらうのを待たなくてもよい。
「少し聞いてほしい」と言える場所を持つことも、自分の心を大切にするひとつの方法なのだと思います。