冬休み満喫中のままぱんだです♪
はたから見たら、ぼーっとしているようにしか見えない。けれど、頭の中はフル回転🌀。考えることをやめられないのです(だから疲れる…)。今日も思考が脳内を占領していました。その中から今回は、【ギフテッドの目に、普通の人はどう映ってる?】をテーマに書いていきます。普通の人から見れば「変わってる、浮いてる、不思議ちゃん」なギフテッド。では逆に、ギフテッドから見たら、普通の人はいったいどんなふうに見えているのか?そして、何を感じているのか?社会という集団の中では少数派の、ギフテッドが抱いている思いを知っていただければ幸いです。
はじめに
1.ここでいう「普通の人」とは、ギフテッド特性がなく、社会や集団になじめている人を指します。
2.ギフテッドとは、IQ130以上(目安)で何かしら困難や生きづらさを抱えている人を指します。芸術・スポーツ系も含むので、IQだけでは測れないことも。
3.ままぱんだは専門家ではありません。以下の文章は、ギフテッド当事者(ままぱんだ&子ぱんだ1)の体験に基づく考えです。また、自慢ではありません。←ここ強調したいです(>_<)
「ふつう」、それはどんなに願っても叶わないもの
ままぱんだがこれまで生きてきてわかったこと、それはギフテッドにとって「ふつう」はどんなに望んでも手に入れられないものという事実。ここでいう「ふつう」とは、社会や集団に難なくなじむことができるという意味です。
子ども時代でいえば、幼稚園の頃から高校に至るまで、まわりとなじめてる!と感じたことは一度としてなかったままぱんだ(泣)。周囲から見れば、「仲良く遊んでいる」と映っていたことでしょう。しかし、自分の中ではいつも違和感だらけ。それは2、3人の少人数でも10人でも変わりませんでした。一人でいたかったし、話すなら同世代より年上(それもかなり上)のほうがよかった。だって話が合うから。もうこの時点で、ズレまくっているのがわかりますね(笑)。低学年の同級生たちがアニメの話に花を咲かせるなか、一人サスペンスやミステリーの真髄について語りたいと思っていたのですから。
もちろん、ギフテッドといえど仲良くしたいという気持ちはあります。だから、まわりに合わせようとする。そう、必死に擬態するのです(特に女の子)。そうすれば、ひとときでも「なじめてる感」を味わうことができるから。でも長くは続きません。本来の自分の気持ちや欲求を抑えることは、ものすごくエネルギーを使うので。それに悲しいかな、必死に擬態して自分ではこれでOKと思っても…。隠しきれないズレ感がにじみ出てしまっているのでしょう。「付き合い悪いなぁ」と同級生にさらっと言われたこと、忘れられません。3人で登校中、中学時代のできごと。あと、先生など上の立場の人に目をつけられやすい(嫌われやすい)ことも悩みの種でしたね。先生から見ても、「どう接していいかわからない、扱いづらい生徒」だったのかもしれません。
この「なじめなさ」は、大学生や社会人になっても続きます。環境が変わるたび、頑張ってなじめるようにしよう!と思って無理を重ねたままぱんだ。しかし撃沈をくり返し、体調も崩しがちになり、もう婚活ではなにも擬態せずありのままの自分でいきました。結果、ぱんだ🐼でいられる環境を手に入れ、いまに至ります✨。
子ぱんだ1(ギフテッド)にしても、低学年で国際情勢や政治問題に関心が向き、同級生とは話が合わない(そりゃそうだ)。「自分の気持ちにふたをして過ごしている。もうやだ…」と泣きながら訴えたことがありました。「みんなと同じ、ふつうになりたい。どうして、なれないの?」とも。もう、慰める言葉もありませんでした。
というように。
ギフテッドにとってまわりとなじむことは至難の業であり、それを難なくやってる「ふつう」の人はとても羨ましく、まぶしく見えるものなのです。どうしてうまくやっていけるの?違和感覚えないの?疲れないの?苦しくならないの?などなど。なにより、見るからに集団で楽しそうにしている!子ぱんだ2(定型発達、非ギフテッド)を見ていると、本当にそう思います。学校生活も部活も、なんだかんだ文句を言ってはいるものの楽しそうですし。休日は友人と遊びに行ったりしてますし。「ふつう」だったら、こんなふうに楽しめるのかぁ、と羨望のまなざしで見ています。
すごい!と言われるけれど…
小学生で研究している、学会発表も何度か経験済み(子ぱんだ1のケース)。これを知った人からは、一様に「すごい!」と言われます。こう書くと、もはや自慢以外の何物でもないと思われてしまいますよね。でも、その背景には「生きててもいいかな、と思えるくらいまで回復してほしい。生きてほしい」という、ままぱんだの切実な思いが隠されているのです。
「論文発表もできるところがいい!」とさがした実験教室にて。講師の先生(研究者)に失礼なことを言わないか、毎回ひやひやしながら見守り、グループでの研究となれば和を乱さないか、これまた気を揉み。個人での研究となって一安心と思いきや、やる気の浮き沈みの激しさにサポートするこちらが沈みそうになること数知れず。
たとえば学会発表する場合。申し込みからポスター作製、当日の発表という一連の流れがあるのですが、それを一定のやる気でこなせるかというとさにあらず。そこがギフテッドという感じではありますが。…となると親がやるしかない。研究の要旨はもちろん、背景や目的にはじまり、方法・結果・考察・今後の展望・参考文献に至るまで、子ぱんだ1をそばにおいて説明させ、ひたすらパソコンに打ち込んでいきました。当時、仕事もしていたのによくやったな、と我ながら思います。ちなみに、子ぱんだ1のやる気が最高潮になるのが発表当日。口頭発表でもポスター発表でも、目を輝かせて堂々と発表する姿がそこにはありました。それを見たままぱんだは、「ああ、いまこの時間は生き生きとしている。これが少しでも長く続いてくれたらいいのに」と心から思ったものです。
小学3年で「生きていたくない…」と泣き叫んで絶望を訴えた子ぱんだ1。そんな子ぱんだ1にとって、研究や学会発表は自慢すべきものではなく、ありのままの自分でいられる、安心できる環境そのものだったのです。それはまた、ままぱんだにとっても気を揉むことなく安心して見ていられるひとときでもありました。
特性を抱えて生きていく
ギフテッド特性は、生きている限り付き合っていかなくてはならないもの。そう考えています。子どものときのみならず、大人になっても続く生きづらさ。集団の中にいるといやでも感じる違和感。なんで自分だけ?と特性を恨めしく思ったこともありますが、でもそれが自分。同じ白と黒でできているからといって、パンダはシマウマにはなれません。群れで暮らすシマウマに、単独行動のパンダはなじめません。パンダはパンダでいい。そう思って、今日もゆる~りと生きてます♪
隣の芝生は青く見える―― そんなものなのかもしれません。「ふつう」の人はギフテッドの突出している部分を「すごい!」と言い、ギフテッドは社会や集団になじめる「ふつう」の人を羨ましく感じる。ギフテッドがメディアで取り上げられるとき、「すごい!」といわれる部分が強調されがち。でも、その裏には本人や親御さん(家族)の切実な思いがあるかもしれないのです。
と、そんなお話をしながら、また冬休みの続きを堪能します。
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今後とも、ままぱんだ*をどうぞよろしくお願いいたします♪