“元ジュエリー職人”だった話
現在の仕事は、ネーミングの判断整理やネーミング提案。
商品やサービス、ブランド、あるいは個人の肩書きに、“名前”を与えることが役割となっている。
けれどその前には、まったく別の世界に身を置いていた。
ジュエリーの制作――素材を選び、構造を設計し、細部まで整えて仕上げる。
そんな日々を、10年以上。
短くはない時間、職人としての現場に立っていた。
あらためて振り返ると、このふたつの仕事は驚くほどよく似ている。
どちらも「目に見えないもの」に輪郭を与える行為だ。
ジュエリーは、感情や記憶を形にする。
言葉にしきれない想い、大切な節目、自分だけの物語。
それらを素材と構造によって「かたち」に変え、身につけられるものとして残していく。
一方、ネーミングは、想いや価値を「言葉」にして届ける営みだ。
抽象を具体に変換するという点では、まったく同じ地平にある。
名前がなければ、商品はただのモノになる。
意味がなければ、ジュエリーはただの飾りになる。
どちらも「それを持つ人にとって意味があるかたち」を探す仕事であり、方法は違えど本質は同じだと思っている。
ネーミングの依頼では、「自分のことをどう表現していいか分からない」という声にたびたび出会う。
たとえば肩書き。たとえば屋号。たとえば商品名。
どれも“外から見える顔”であると同時に、“自分を整える作業”でもある。
ジュエリーにも、似たような依頼があった。
「この時期を忘れたくないからリングにしたい」
「母の言葉を、ネックレスの裏に残しておきたい」
「これからの“芯”を、形にして身につけたい」
自分のなかにある“言葉にならない思い”を、形や名前にしておかないと、
流れていってしまう瞬間がある。
そういう「かたちにしておくことの必要性」は、ジュエリーの現場でも、ネーミングの現場でも、繰り返し見えてきたものだった。
いま、物理的な素材を磨くことはなくなったけれど、
言葉を磨く作業は、あのときの手仕事によく似ている。
たとえば、「軽やかな印象にしたい」と言われたときは、金属の厚みや光の抜け具合が思い出される。
「誠実さを残しつつ、個性も出したい」と言われたときは、仕上げのツヤ感や刻印の深さが頭に浮かぶ。
どちらも、素材選びと仕上げの加減で印象が大きく変わってくる。
言葉も、ジュエリーも、見え方と伝わり方は、細部で決まる。
元ジュエリー職人として、現在は「言葉で装飾品をつくるような感覚」でネーミングをしている。
ただし、それは飾るための名前ではない。
その人の中にずっとあったものに、やっと名前をつける――そんな作業に近い。
だから、名前が仕上がったときに、
「なんだか、やっと自分になれた気がします」と言われると、
かつて、リングを手渡したときと同じ感覚がよみがえる。
名前とジュエリー。
一見、遠いようで、実はとても近い。
どちらも、“意味を持ち運べるようにする”仕事であり、
“自分という存在”を信じていくための、小さな技術なのだと思う。
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