読んでくださっている皆さま、こんにちは🤗
お疲れ様です( ^-^)_旦~
リピートありがとうございます🤗♪
有り難いことに、何人もの方々がお気に入り登録してくださったり、フォローしてくださったりしてまして。
ここは、本名で出してないからFacebookにPRしてないんですよね。
それなのに、日々、登録のお知らせが来てビックリしてます。
ただの田舎のば~ちゃんの生い立ちに興味を持ってくださって感謝しています🤗
また今日も、電話の待機をしながらこれを書いています。
ここの「待機」って自分で設定した時間が来たら自動的に切れてくれるのが有り難いです✨
いつ、電話がかかるのかな?🤗
どなたかが、試しにかけてくださると嬉しいな🤗♪
では、そろそろ昨日の続編です。
生後1ヶ月め。私は生家の祖父に抱かれて汽車に乗り、隣の県のB家に養女に行きました。
生まれて間もなくだから本人は全く記憶がないけど、周囲の大人達はそれぞれに心揺れ動いていたようです。
生家では祖母が、情が移って別れが辛くなるからと手をかけないようにしていたそうです。
仮死状態で生まれた弟は、元気に育ち、祖父の一番のお気に入りとなりました。子ども嫌いの祖父が弟だけは何をやっても叱られなかったと次姉がこぼしてました。
養家で、迎える側は、祖父は「他人の子をもらうより良かった」と喜んだそうですが、母は、準備期間が2ヶ月くらいしかなかったので、戸惑いと不安で私の寝顔を見ながら何日も眠れなかったと聞きました。
現在は、保健師さんが訪問指導してくださったり、育児書や地域子育て支援の仕組みが出来ていますが、昭和30年代にそんなシステムはなく、母はたいへんだったろうなと思います。
しかも、私は過敏気質で身体も弱く、かなり育てにくい子でした。
人見知りも激しく、お店をやっていたので、お客さんが「ばぁ」とかあやしてくれても泣くかそっぽを向くかの可愛げのない子だったようです。
そんな私を、母は慣れない子育てながら温かく見守ってくれていました。
私がひとりの世界を好むらしいと見てとった母は、家業が忙しいこともあったかもしれないけど、好きなようにひとり遊びをさせてくれました。
保育園に行き始めた後、配達で保育園の園庭で私を見かけた母は、私が集団のそばで他の子達の遊びを眺めている様子を見て、この子は参加はしてなくても自分も一緒に参加してるつもりなんだろうなと思っていたと後に聞きました。
母が、そんな私に焦って集団に無理に入らせようとしなくて有り難かったです。
私のペンネームの”momo”は、母の名前からいただいています🤗
そうそう、この頃、生家のA家家族がB家の近くに引っ越してきて、A子母がB家の経理を手伝うようになったことで、双子の弟と日中は一緒に過ごしていました。
弟は、どんくさい私と違い、素早っこく、欲しい物は何でもサッと獲る子でした。
私のひとり遊びも、すぐに混ぜっ返されてしまいます。
怒って抗議しても、悔しいけど力が違うからどうにもならない。
私は、闘うのは性に合わないタイプだったので、ひとりでゆっくりと遊べる空間に移動するか、一瞬で「これは要る!」「要らない」と決めて、要ると決めた物は死守するようになりました。
この習慣は長じてもなんとなく残っているような気がします。
集団遊びは好まなかった私ですが、近所の子ども達とは暗くなるまで遊んだりもしてました。
あの頃は、外で遊んでる子が多く、大人達も、子どもらが田んぼに石を投げ入れたりするいたずらには、遠慮なく大声で叱りつけていました。
転んで足から血を流し、泣いていると知らないおばちゃんが自分の家に招き入れてくれて傷を水で洗って赤チンをつけてくれました。
暗くなって帰宅すると、カレーや焼き魚の匂いが迎えてくれました・・・。
そうそう、あの頃は、「カレーライス」ではなくて、「ライスカレー」って呼んでまして、グリコのワンタッチカレーが流行ってました。
(ハウスバーモンドカレーが出たのはもっと後のことになります)
・・・そんな、のどかで穏やかだった幼児期に作られた土台が、私の軸になっています。
ただ、この穏やかな時代は長くは続きませんでした・・・。
続きは、また後ほど・・・。
今日も読んでくださってありがとうございました🤗
今日もあなたにとって良い日となりますように・・・!🤗🍀🌈