こんにちは、松河沙奈(まつかわ・さな)です。
ココナラさんで占いや相談のお仕事をしながら、ブログでは「人生をちょっとラクにするヒント」を綴っています。
今回は、「優しさ」の中にひそむ“自己犠牲グセ”についてのお話です。
「寄り添いたい」と「応えすぎてしんどい」のあいだで
最近、境界線を引いたことについて記事を書きました。
期待や要望に応えたい気持ちって、たしかにあるんですよね。
でも──正直、キャパオーバーでしんどくなってしまうこともある。
そんな中で、ふと気づいたんです。
「あれ?私、“寄り添う”ことと“自己犠牲”をごっちゃにしてたかも…」
「レッツ深掘り」発動しました。
どうして自分を削ってまで、相手に合わせようとするんだろう?どうして“ガッカリされたくない”って、あんなに怖かったんやろう?
思い返してみると──私の“合わせグセ”“自己犠牲グセ”の始まりは、母との関係だったように思います。
“水鏡が濁るのは、寄り添いと自己犠牲を間違えてるとき。”
私は昔から、人の気持ちを敏感に察するタイプでした。
でもそれって、「自分の気持ち」と「相手の気持ち」の境界線があいまいだっただけかもしれません。
特に母との関係では、「母の気分=自分の気分」みたいに、完全に一体化してたんですよね。
「人の気持ちを感じすぎて、しんどい」
そんなふうに悩んでいた頃の私は、きっと、“自分の感情”の居場所がなかったのかもしれません。
今はこう思います。
“相手のごきげんは、相手の責任”。
自分に余裕があるときだけ、そっと手を差し伸べたらいい。
その方が、ちゃんとした「助け」になりますよね。
自己チェックのための3つの問いかけ
✔️ 誰かのために何かして疲れてしまったとき→ 「これって自己犠牲じゃない?」と、一度立ち止まってみる
✔️ 「それって本当に“今の自分”がやりたいこと?」と自問する
✔️ モヤモヤが残るなら、それは境界線があいまいになってるサインかも
まとめ:私は私でいていい
境界線を引くことって、冷たくすることじゃないんですよね。
それは、“自分の水鏡”を濁さないための大事な整え。
そして、
「私は私でいていい」って信じられることが、やさしさをちゃんと届ける力になる。
どうかあなたも、“誰かの期待”よりも、“自分の気持ち”を大切にできますように