今まで色々なところを旅してきたけど
それらにはどれも対象になる物や場所があり、それが目的(地)になる
そんな様々な刺激を求めて周ったけど、その究極になるものがある
無である、砂漠だ
何もない、がある
スペインに入って、まず瞑想のコースを受けた
お喋りな人達と関わるのにまず一番無口な人達とから始めようと思ったからだ
その後、スペイン語の学校が始まるまでに1ヶ月時間があった
まだ瞑想のモードが身体に残っていたから、なんとなくスペインから南へ
モロッコのさらに南のサハラ砂漠に入りたいと思った。
それは巨大な瞑想のセンターに入るようにような感覚で
その世界観を体感するのにふさわしい状態で行きたいと思った。
砂漠の村にたどり着いてから、朝は散歩で砂漠を歩き
昼は歩いたり暑かったら宿に戻って、夕方にまた歩く
朝の景色は風によって砂の形を変え全く様子を見せた
写真を撮るのがとにかく楽しかった
地下鉄での撮影とは全く逆の体験だ
空と風と砂という構成要素の空間。
平衡感覚をブラシたりするテクニックは地下鉄で培った
その撮り方で砂漠を撮る時それはただの砂でなくなった
何もない所で遊べるスキルがあればどこでもやっていける
自分はワーホリの経験が長いため、料理の仕事も多くやったけど
自分の味覚を喜ばせ身体を養うテクニックを培えて本当に良かった
自分が1番自分の身体や感覚を知っていて喜ばせることができるから
同じくカメラにより視覚を楽しませるテクニックを身につけて良かった
何もない所でも見方の工夫によってその世界を楽しむことができるから
それが遊びだ。それは人間の本質かもしれない。
小さい時はやってたけど、また音楽をやりたくなった。聴覚活動。
お香が好きなのも感覚世界を豊かにして生活に彩りを与えるからかも
皮膚感覚は瞑想が続いてるけど、歩いて自然を感じたり運動も好きだ
もっと感覚的に豊かに生きていきたいと思う
そしてそこに夢中になれる遊びがあると良い
それを増やすのも良いけど、減らすのも良い
そして徹底的に減らす時、その本質が現れる
すると何もない砂漠でも1日中楽しく遊べる
砂漠の村でベルベルジンという砂漠の遊牧民の青年と出会った
ラクダに乗って砂漠のオアシスを回るツアーをしているらしい
自分も1日のツアーをお願いして、一緒に砂漠やオアシスを歩いた
ラクダは砂漠の友であり、乗り物であり、食べ物であったりする
遊牧民とは今も連絡をとってて、日本脱出先としてもオススメだ
都市圏に住んでいる人は色んなデトックスにぜひオススメで
何もないと書くとネガティブな印象を受けるかもしれないが
その分、夜の星は綺麗すぎるくらいだし、心に余裕ができるから
次に何がしたいかも湧いてくる。
遊牧民とは次に自分が砂漠に行ったら
ジープでひたすら1週間まっすぐ走ろうという話をしている
それはもはや大海原にボートで乗り出すのと同じ位の感覚で
死すらよぎる体験というのは、歓喜を簡単に呼び起こす
山から水が流れて普通に水が飲めることに感激するかもしれない
何かを加える旅も良いけど、減らす旅も豊かになる
さて、そろそろスペインに帰ることにしよう。