今回の話は、
Yの正体を知りたがっている人には、
重要なヒントになるように思う。
ただ、そこに意味はあまりない。
なにしろ、証拠のない話だ。
もし、あなたが、
Yさんの条件に当てはまる有名な人って、
このひとかしら?
などと思っても、
心に留めておいてほしいと思う。
当たっていても、外れていても、
私には、それを肯定することも否定することもできず、
ただ名前を出された人が迷惑を受けるだけなのである。
以上が前置きである。
それと、今日の話もXの話であり、
ツインレイ女性全てに当てはまるわけではない。
そのあたりも踏まえたうえで読んでほしい。
なぜ私の両親のような人が現れて、
なかなか消えてくれないのか。
Xの重要な疑問の一つである。
近ごろ、そこにも少しリアルな仮説が生まれてきた。
「刺激説」である。
よく不安になるXに対し、
わたしは未来が明るくなる材料を提示するようにしている。
それは運命論も含めてである。
なにしろ、現実だけだと、希望が持てるような材料というのは、
いくらでもXが否定できてしまい、
かえってドツボにはまるから。
そんなときにも西洋占星術は使い勝手がいい。
そこに記された象意は、
運命の概要が見える化されたものであるからだ。
しかも、証拠がないので、否定しようもない。
それでも、希望が得られるのだから、
まったく占いとは不思議な力を持つものである。
そこで、星を見て驚くのは、
Xに記された「究極」傾向である。
その日も不安軽減のため、
将来の材料を語るが、
それに対しXは言う。
「そんな楽になったら退屈になっちゃわないかな・・・?」
全く、耳を疑う発言である。
じゃあ、あなたは退屈しのぎにあれだけの経験をしてきたのかね?
あらゆる艱難辛苦を味わい、
自ら命を立つ人もいるというベンゾジアゼピン中毒を乗り越え、
断薬後も想像を絶する離脱症状を乗り越え、
あげくパニック発作までおこし、
家も失い、夫は仕事を失い、ギリギリの貧困と、
体調不良を乗り越えた。
それでも、平和だけでは物足りないというのか・・・?
これには、X自身ですら、
「そんなにまで刺激を欲しがる自分が怖い」
と、語っていた。
ただ、星回りを見れば、
納得できる話ではある。
究極の刺激がないと、
生きている実感が持ちづらい◯◯星が効いた星回り。
「その思考が、刺激としてのうちの両親を引き寄せたのでは?」
そう考えた私は、
この仮説をしばらく前に提示していた。
Xもようやくそれに納得し始めたようだった。
自分が刺激を求めてしまったのだと。
しかし、この可能性を考えることは、
それを手放すために重要なステップであると、
私は考える。
見えれば気づく、
気づけば動く、
動けば変わる、
変われば見える。
自分の刺激志向が見えていなければ、
それを改善しようともできないものである。
また、見えてきてしまえば、
それはもうスリルでもなんでもない。
実際のところ、
Xはもう、刺激としてのうちの両親に飽きてきていると感じる。
だから、この刺激説に気がつくことができた。
Xは「ツマラナイもの」に敏感である。
それまでは、
この外出もなかなかできない退屈な療養生活のなかで、
刺激を欲して、うちの両親の残念さを引き出していた。
しかしながら、
昨今は自己表現を含め、外に目を向け始めた。
そうなると、そっちのほうが、
変化のある新鮮な刺激があるのだ。
うちの両親の残念さは、
ショックはあるものの、
得てして、毎度同じ「古臭いノンデリショック」なのである。
もはやそんなものを喜んでいる場合ではない。
世の中の変化は早い。
その変化すら、刺激として愉しめばいいのだ。
これに気がついたXは、
きっとまた1段階楽になるだろう。
古臭いノンデリショックよりも、
新鮮な外の刺激を求めていってくれると、
より未来が開かれてくる。
なにより、本人がそうした新鮮な刺激を求め始めてくれたことが、
うれしいことである。
古臭いが、無いよりはマシな刺激など、
もはやいらないのだ。
そうは言っても、
星回り的には、そっちに戻っていってしまう可能性も大である。
まだまだ予断は許さないのかもしれない。
私としては、
いい人であり、悪い人でもあるYがくれる刺激が、
Xにとって一番ちょうどよいのだろうな、と思っている。
はやく出会えるといいのだが。