私が犯罪心理学に興味があるのは、この「わかる気がする」という気持ちが、自分の中にたくさんあるからだと思う。
もちろん、多い少ないの基準なんてわからないけれど。「なぜそんな事を!」と世間が驚くような事件や問題も、私はどこかで「なんかわかる気がする…」と思ってしまうのだ。
人を激しく恨んだり、何かを辞められなかったり。
どうしても欲しいものがあったり、異性に狂おしく惹かれたり。
あるいは、日常が退屈すぎたり、辛すぎて耐えられなかったり。
様々な問題の根っこには、この「わかる気がする」という要素があって、それが異常に膨らみ、暴走してしまった結果起こるのだと思う。
などと、偉そうに分析してみるものの。いざ自分ごとの日常生活になれば、問題が発生しないなんてことはサラサラない。むしろ頻発する。色んなシーンにおいて、ごちゃごちゃと起きる。
たとえば、子ども。
勉強もしないでゲームばかり、部屋はだらしがない。その光景を見て、「あぁ、わかる気がする……」なんて呟きながら、優雅にコーヒーをすすり続けられればいいけれど、現実はそうはいかない。
夫のポケットから「ん? なにこの名刺(キャバクラ……?)」となった時。
「あぁ、わかる気がする……」なんて、笑顔で楽しくいられるわけがないのだ。
これはある意味、他人事に対しては「自分とは関係ない」という境界線を引いてしまっているからこそ出来ることで、一見冷たく感じるものなのかもしれない。けれど、だからこそフラットに受け止められる世界があるんじゃないかな、とも思う。
同時に、自分の日常生活においても、この「わかる気がする……」という、目を細めて悟りを開いた仏陀(ブッダ)のように言える余裕を持つことって、実はすごく大切なんじゃないかな、と思う。
自分を責めて叱咤激励してしまう気持ちにも、「そうだね、そんなこともあるよね。自分の気持ち、わかる気がする…」。
相手への抑えきれない不満に対しても、「でも、あなたの気持ちも、なんかわかる気がする…」。
この視点を自分の中にちょっとだけでも入れてみれば、それこそ感情が爆発して、何か大きな事件につながるような事って起きなくなるんじゃないかな、なんて思った。
わかってあげたいし、もっと知りたい。
わかって欲しいし、知って欲しい。
「なんかわかる気がする……」と小さく呟くことで、その願いがちょっとだけ叶う気がするのだけれど、どうだろうか。