繊細さんという言葉だけでは、わたしは生きやすくならなかった
相手が怒っているだけなのに、なぜか自分まで苦しくなる。
誰かの機嫌が悪いと、
「私が何かしたかな?」
「嫌な思いをさせたかな?」
と考えてしまう。
機嫌がいい人といると楽しくなる。
でも、機嫌が悪い人といると、自分の気分まで落ちてしまう。
私は、この性質に長年悩んできました。
そんなときに知ったのが、「HSP(繊細さん)」という概念でした。
「私はこういう性質を持っているんだ」
そう思えたことで、自分のことを少し理解できた気がしました。
刺激の少ない環境を選ぶ。
苦手な人とは距離を置く。
自分が疲れないように、自分を守る。
そうやって、自分に合った環境をつくることは、確かに大切でした。
でも、そんなふうに生きていく中で、少しずつ違和感を感じるようになりました。
「私は繊細だから仕方ない」
そうやって、自分の生きづらさを全部「繊細だから」という言葉で片付けてしまっていいのかな。
私は、「繊細さん」という言葉を理由に、本当は向き合ったほうがいいものから逃げているような感覚があったんです。
「私は繊細だから」と思っていた
嫌なことや不快な感情は、どれだけ避けてもなくなりません。
私の場合、その背景には幼少期の経験がありました。
子どもの頃、両親の喧嘩が日常的にありました。
直接自分に向けられた言葉ではなくても、お互いの人格を否定し合う声を聞くことが、とても苦しかった。
その経験から私は、
「人の怒り」
「悲しみ」
「不満」
「負の感情」
を、危険なものとして感じるようになっていたんだと思います。
だから、誰かが不機嫌になると、その場の空気を変えたくなる。
相手のイライラが早くなくなってほしい。
相手に機嫌よくいてほしい。
そう思っていました。
でも、あるとき気づいたんです。
相手の感情を心配しているようで、実は自分を安心させたかった
それは、相手のためだけではありませんでした。
「この不快な空気から早く逃れたい」
「安心したい」
そんな自分の思いもあったんです。
つまり私は、無意識のうちに相手の感情をコントロールしようとしていました。
相手の感情を心配しているようで、
本当は、
「私を安心させて」
と相手に求めていたんです。
そこで初めて気づきました。
私が苦しかった理由は、「繊細だから」だけではなかった。
自分の中にある不快な感情や、負の感情を受け入れられていなかったから。
私は昔、怒りや悲しみ、不安を感じると、
「こんな感情を持つ私はダメ」
「こんなことを考えてはいけない」
と、自分の感情に蓋をしていました。
でも、感情は「良い」「悪い」で分けるものではありません。
怒りは、自分が大切にしたいものを教えてくれることがある。
悲しみは、本当に望んでいたものを教えてくれることがある。
不安は、自分を守ろうとしているサインかもしれない。
そうやって、自分の感情を否定せずに感じるようになると、少しずつ変化が起きました。
「あ、嫌な感情を感じても、私は大丈夫なんだ」
そう、頭で理解するだけではなく、少しずつ体でも分かるようになっていったんです。
感情を受け入れたら、境界線ができた
私の場合、感情を否定せずに感じると、時間とともに少しずつ波が落ち着いていくことが分かってきました。
嬉しい感情がずっと続くわけではないように、
不安や怒り、悲しみも、ずっと同じ強さで続くわけではない。
そう思えるようになると、目の前に不快な感情を抱えている人がいても、
「この人も、この人自身の感情と向き合っていける」
と、少しずつ信じられるようになりました。
以前の私は、
「相手が苦しんでいる=その人は不幸」
だと思っていました。
だから、相手が苦しんでいると、私まで苦しくなっていた。
でも今は、
「今、この人は苦しいんだな」
と、その人の感情を、その人のものとして見られるようになりました。
もちろん、寄り添うことはできる。
話を聞くこともできる。
助けることだってできる。
でも、
「相手の感情を消すこと」まで、私の役割ではない。
そう思えるようになったんです。
だから今は、目の前に怒っている人や苦しんでいる人がいても、
寄り添うのか。
少し距離を置くのか。
今の自分にできることは何なのか。
そのときの自分に合わせて、選べるようになりました。
人と境界線を引くことは、冷たいことではありません。
相手を一人の人間として尊重すること。
そして、自分自身を大切にすることでもあると思っています。
「私は私の味方」でいるということ
「繊細だから、生きづらい」
そう思っていた私が、本当に必要だったのは、繊細さをなくすことではありませんでした。
自分の感情を受け入れること。
相手の感情と、自分の感情を分けること。
そして、
「私はどうしたい?」
と、自分に問いかけて、自分で選択すること。
相手が怒っていても、悲しんでいても、不機嫌でも。
その感情を消すことまで、私の役割ではない。
相手の感情は、相手のもの。
私の感情は、私のもの。
その境界線を持ちながら、自分の人生を自分で選んでいく。
それが、私にとっての
「自分が自分の一番の味方になる」
ということでした。