ポルポトのプノンペン入場から50年

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コラム
 カンボジアの不幸な歴史の始まりについてはいくつかの転換期がありました。
 始まりはベトナム戦争に巻き込まれる形で起こった1970年のクーデターと言えそうですが、そのクーデターの首謀者を倒してポルポト率いるクメール・ルージュがプノンペン市民に英雄として迎え入れられたのが1075年4月17日でした、ちょうどそこから50年経ったというわけです。

 しかしその英雄は中国の文化大革命の思想を引き継ぎ徹底した富裕層や知識人の弾圧、鎖国政策を行った結果、700万人の人口が300万人まで減少するという事態を招きます。
 300万人大虐殺ととなえる説もありますが、実際は国外逃亡したり強制労働による餓死や病死が多くを占めるのでしょうが、拷問・虐殺も相当数あり、逃亡しようとして地雷の被害にあったケースもかなりあったのも事実です。

 そのポルポトの支配は4年後の1979年に終わりますが、ゲリラ化したポルポト派含む4派閥に別れての内線がその後10年以上続き、1993年、日本の自衛隊によるPKO活動での海外初派遣にもなった国連主導による初の総選挙を期に平和を取り戻し今日に至ります。

 当時埋められた地雷は50年たった今も残っていて除去作業はまだまだ続き、時折その被害もわずかですがまだあります。日本の原爆の後遺症と絡めるのはどうかとも思いますが、その時その場にいる人々を苦しめるだけでなくその後何十年にもわたって苦しみを与えるような兵器は廃絶されなければならないと改めて思う次第です

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