こんにちは🍀かあやです。
あなたは存在しているだけで価値がある
すべてはただの経験だった
負の経験、正の経験、どんな経験でもすべては魂のギフトだった
すべてに「不足」はなかった
本当はすべてが「足りていた」
そんな風に言われたら、あなたはどう思いますか?
違和感でしょうか、反発の感覚でしょうか。
信じられないという感想でしょうか。
なんかそれがきっと正解なのかもしれないけど、
私にはとてもそんな境地にはなれない
と思いますでしょうか。
私はまさしく
「その通りかもしれないけど人間ですもの、そんな風に思えるかーボケ」です笑。
例えば私は「死」が異様に怖いです。
怖すぎてパニック障害になったほどです。
また脳の特性なのか、
頭の中の音楽が止まらずにものごとに集中できず
なかなか「今ここ」にいられません。
ですが、私は時々自分の脳ではない身体のどこかから(背中?丹田あたり?)直観的にメッセージをくみ取る事があるのですが、
「死がこわい」はただの脳の習慣。
脳の音楽は、脳の習慣が壊れたラジオ化しているだけ、という事でした。
また「今ここにいれない」のは脳が今をぜんぶ受け入れる事を拒否して音楽でごまかす自己防衛で、それも昔の習慣であるだけ。
それを何もジャッジせずに眺めていれば必ず消えていくものだそうです。
そしてそれらは大いなるエゴ。
本当に感じている事を音楽でごまかし、言葉でごまかし・・・・一体何のために?と思いますが、
幼少期をたどるとたぶん
「親の前で素直になるとどんな風に反応されるか怖いから感情をオブラートで隠したい」でした。
否定されるのがこわかったんでしょうね。
でも本当は周りからどうジャッジされても
「あなた自身はパーフェクトに足りている」
のだそうです。
そして感情を出したいのなら「表現しよう」とアドバイスを受けました。
(自分自身から…)
たぶん私はこうやって文章にして表現することが好きなんだと思います。
そして最大のアドバイスが
冒頭の
「存在しているだけで価値がある…」でした。
意識は死なない、何も失わないのだそうです。
人間は身体を通して色んな事を味わいにきた魂たち。
だから、
周りの反応が気になって疲れちゃう事も
すぐにエネルギー切れする所も
なんでも自己流でやりすぎるところも
ぜんぶ認めて個性として光として立ってていい。
みんながそれぞれ太陽である。
そんな今朝一番のメッセージなのでした。
感覚的な文章で失礼しました。
どなたかに何かが届けばうれしいです。
お読みいただきありがとうございました🍀