東日本大震災直後のラジオDJ〜その2

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コラム
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相馬の漁港の震災3年後の様子。津波の跡がなまなましく残ってます。

(約1分で読めます)


2011年3月11日の14時46分。僕は銀行で両替してました。そのあと、実家の店に戻る途中、被災しました。


止まってる車が左右に揺れて走ることができず、ビルのコンクリートの壁が頭上からはがれ落ち、信号機は左右に大きく揺れ、建物の中にいた人たちは、外へと出てきました。


目の前のホテルの清掃員の人たちは、高い場所にいたのか震えて泣いてます。地震のせいか、急に吹雪いたり、晴れ間が見えたり。天気もが急に変わるのも覚えています。


みんな、経験したことのない地震に呆然としていました。


すると、周りの店はシャッターを閉め始め、街は急に暗くなりました。自分たちも自宅の様子が心配だったので、すぐさま家に戻りました。


あの日、強烈だったのは、地震ひとつで自分たちの生活はあっという間に変わってしまうんだ、という思いでした。平凡な生活というのは、もろくてすぐにでも壊れてしまうものなんだと。


その後、交通網が寸断され、食料が手に入りづらくなります。新幹線も那須塩原までの運転となり、東北、福島は日本でありながら突然、孤島になったのです。


続きます。


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