こんにちは~
今日も珍しく昼に書いてます(^^♪
この『知らないことは罪なんです』という言葉
聞いたことありますか?
僕も少し心理学や哲学をかじっていたので
「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」
というソクラテスの言葉は知っていたのですが・・・(笑)
この意味を改めて調べてみると・・・
「無知は、知らないことによって得られないことがあったり、失敗することで人を傷つけたりします。ある意味無知は・・・本人は幸せですが、周りを不幸にすることがあります。そして知とは、ただの情報と呼べる知識のことで、何かに役立つ知恵ではありません。頭でっかちと呼べる状態です。そして最後の英知とは、情報のみならず、経験・体験が元になり、実行へと動かすための知恵と勇気を兼ね備えるものです。」
どうですか?分かりやすくないですか?(笑)
つまり・・・
無知から知に向い、最後に英知に至るという方向性があることに気がつきます。
でもこれをさらに噛み砕いてみると・・・
皆が無知から始まる・・・要は子供の状態です。
社会的に守られ、養われているだけの存在・・・
でもそれは子供時代ならまだ許されるのですが、大人になってそのままだとしたら、それは罪ということです。
しかし、そこから始まって、普通は知を身に付けて行くんですが、
実はそれだけではいくら集めても役に立たないという事のようです。
何故?ソクラテスはこの知という中間部分に、わざわざ空虚だと記したのか??無知からすぐに英知にすぐ行くのではなく、その中間があるんだと敢えて書いたのか??
ここで大事なのは、知から英知にまでの道筋です。
要は、英知とは何か??を考えないといけないということ。
僕は今まで、『英知とは社会や他人の役に立つ本物の知識ではないか?』
と漠然と考えてました。
私自身、ボーカリストとしてそういったことを考えながらやって来たのでわかるんですが、そこに至る為には膨大な知の集積や体系化が絶対的に必要なのではないか?と。
そして、最近気づいたんですが・・・
知の状態にいる「頭でかちの人」は、より罪が大きい??
それをもっと知って人の役に立つどころか『和』を乱してしまう事は大罪
ではないか?と。
実は普通のボイトレに通っている方は気づいているかも知れませんが、
これは、先生と生徒の関係でも結構起こっているのではないか?と僕は
感じています。
一般の方にもわかるようにある例を出したいと思いますが・・・
ちょっと長くなりましたので、次回にしますね~
つづく・・・