青の教室 俊雄 第10話/4月12日 ――白い紙の前で――
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青の教室 俊雄 第10話/4月12日
――白い紙の前で――
夕方の青の教室は、
昨日よりも少しだけ青が深かった。
俊雄が入ってくる。
静かに、いつものように。
でも、その静けさの奥に、
わずかな緊張の影が見えた。
友彦は、
机の上に真っ白な紙を一枚置いた。
積み木は、
今日は横にそっとのけてある。
「俊雄、これ。
好きにしていいよ。
書いても、折っても、切っても」
俊雄は紙を見つめた。
“おや?”という表情。
すぐに、眉間のあいだにしわが寄り、
ほほのあたりが少し固くなる。
紙は白いまま。
俊雄の手は動かない。
友彦は、
その変化を静かに受け取った。
(ああ……やっぱり、そうか)
声には出さない。
ただ、
俊雄の“歩幅”がまだ育ちきっていないことを
そっと胸の内で確かめる。
少し早かったかもしれない。
でも、
俊雄の輪郭がまたひとつ見えた。
友彦は、
やわらかく声をかけた。
「じゃあ、俊雄」
俊雄が顔を上げる。
「その紙に、
直角二等辺三角形をかいてごらん」
また“おや?”という顔。
けれど今度は、
迷いのない動きで定規を取り出す。
紙の上に、
三角形が静かに現れる。
「この三角形の3辺の長さの比、
どうなってるかわかるかい」
俊雄はしばらく考え、
小さく言った。
「……ここ、ルート2ですか」
「そうだね。
1対1対ルート2だね」
声は淡々としている。
でも、
その淡々さの奥に、
俊雄の呼吸が少し整っていく気配があった。
「じゃあ、
直角をはさむ2辺が3と4の三角形を
かいてみようか」
俊雄は、
また定規を動かす。
三平方の定理の説明が、
何食わぬ顔で続く。
俊雄は、
その説明を“聞いている”というより、
“受け取っている”。
数学の時間は、
俊雄の中のざわつきを呼び起こさない。
むしろ、
静かに整えていく。
「じゃあ、今度は三角定規のもう一つの方。
30度と60度の角のある方。
あれの3辺の比は?」
俊雄は、
少しだけ目を細めた。
考えているときの顔。
白い紙の前で固まったときの顔とは違う。
そこには、
“歩ける道”に足を置いた人の静けさがあった。
友彦は、
その横顔を見ながら思う。
(俊雄は、
とっかかりさえあれば進める。
自分の歩幅で、まっすぐに)
それが今日、
またひとつ確かになった。
***
数学の時間が終わるころ、
友彦はふと声をかけた。
「どう?俊雄。
数学、たのしかったかな」
俊雄は、
ほんの少しだけ目を上げた。
その目は、
白い紙の前で固まったときの目ではない。
静かに、
歩いたあとの目だった。
***
プリントを机に置いたころ、
友彦が思い出したように尋ねる。
「俊雄」
俊雄が顔を上げる。
「お家でノート、また書いたの?」
俊雄は、
小さくうなずいた。
そのうなずきは、
今日の数学の時間と
静かにつながっていた。
青はまた俊雄のそばにもどっていた。