青の教室/陽子 第5話(3月16日) ――タッタタタッタの自由――
記事
学び
第5話(3月16日)
――タッタタタッタの自由――
青の教室の午後は、いつもより少しだけにぎやかだった。
陽斗とひかりが来ている日は、空気がきらきらする。
二人の笑い声は、まるで窓から差し込む光に混ざって、
教室全体を明るくしてしまうようだった。
友彦は、黒板の前に立ち、
チョークを指でくるりと回した。
「今日はね、リズムの授業をします」
ひかりが「えっ、音楽?」と目を輝かせる。
陽斗は「リズム……?」と首をかしげる。
友彦は、黒板を軽く叩いて言った。
「タッタタタッタ」
教室に、軽いリズムが響いた。
「さあ、好きなリズムで後を続けてね」
ひかりは、待ってましたと言わんばかりに手を挙げた。
「タタタッタタンタ!」
その場の空気がぱっと明るくなる。
ひかりのリズムは、まるで光の粒が跳ねるみたいだった。
陽斗は、しばらく黙っていた。
眉を寄せて、真剣に考えている。
友彦は、もう一度軽く言った。
「タッタタタッタ!」
陽斗は、はっと顔を上げて言った。
「タタンぽんぽん!」
ひかりが「かわいい!」と笑い、
陽斗は照れくさそうに肩をすくめた。
そのやり取りを、陽子は少し離れた席から見ていた。
――タッタタタッタのあとは、ふつう“ッタッタ”だよね。
陽子の頭の中では、
きれいに整ったリズムが鳴っていた。
「ッタッタ」
それが“正しい”と思っていた。
でも、ひかりは「タタタッタタンタ」。
陽斗は「タタンぽんぽん」。
正しいとか間違いとかじゃなくて、
ただ“自分のリズム”を出しているだけ。
友彦は、陽子の方を見て、
ふっと笑った。
「陽子。
君はどう続ける?」
陽子は、胸がどきっとした。
「え……私は……」
「“ッタッタ”でもいいし、
“タタンぽんぽん”でもいいし、
“タタタタタタ”でもいい。
陽子のリズムでいいんだよ」
陽子は、息をのんだ。
――私のリズム。
先週の金曜日、
イラストを描くのに夢中になった自分。
あおいとりょうが、自分の根源を見つけたときの姿。
あれは全部、
“ッタッタ”に縛られていない瞬間だった。
陽子は、ぽつりと言った。
「……あ。
私の影……“ッタッタ”なんだ」
友彦は、静かにうなずいた。
「そう。
“こうしなきゃいけない”っていうリズムが、
陽子の影を作ってるんだと思う」
ひかりが「ぽんぽん!」と真似して笑い、
陽斗もつられて笑った。
陽子は、少しだけ笑った。
その笑いは、影の隙間からこぼれた光みたいだった。
***
帰り道。
迎えに来た美咲と並んで歩きながら、
陽子はふと思い立って聞いてみた。
「お母さん。
“タッタタタッタ”のあとは、何て続ける?」
美咲は、即答した。
「ッタッタに決まってるじゃない。
何変なこと言ってるの、陽子」
陽子は、胸の奥で小さく笑った。
――やっぱり、お母さんは“ッタッタ”なんだ。
でも、今日はその“ッタッタ”が、
いつもより少しだけ柔らかく聞こえた。
美咲は、陽子の横顔をちらりと見て言った。
「……でも、陽子は好きに続けたらいいのよ」
陽子は、足を止めそうになるほど驚いた。
美咲は、照れくさそうに言葉を足した。
「青の教室で……そういうの、習ってるんでしょう?」
陽子は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
――お母さんも、変わり始めてる。
影の奥で、
陽子のリズムが、
ほんの少しだけ自由になった気がした。
「じゃあ……私はね」
陽子は、空を見上げて言った。
「タタンぽんぽん、かな」
その瞬間、
横を歩いていた陽斗が、
ぱっと顔を上げて叫んだ。
「あ、それぼくの!」
美咲は一瞬ぽかんとしたあと、
ふっと笑った。
「……変なの」
でも、その“変なの”は、
今日だけは、
とても優しかった。
陽斗は得意げに胸を張り、
陽子は笑い、
美咲はその二人を見て、
胸の奥がほんのり温かくなった。
“タタンぽんぽん”は、
家族のリズムになり始めていた。