続・青の教室 「ひとりの生徒」 / 第2章 ざわめく教室
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第2章 ざわめく教室
陽向が学校に行けなくなったのは、五月の終わりだった。
その日は、朝から空が白く濁っていた。
湿った風が校舎の廊下を抜け、教室のカーテンを揺らしていた。
陽向は、教室の後ろの席に座っていた。
机の上には、開きかけの国語の教科書。
しかし、文字は頭に入ってこなかった。
教室のざわめきが、陽向の耳を刺していた。
「昨日のゲームさー」
「マジでウケるんだけど」
「え、陽向ってさ……」
その瞬間、陽向の背筋がわずかに震えた。
「陽向って、なんか変じゃね?」
その声は、笑い声に紛れていた。
誰が言ったのか、陽向にはわからなかった。
しかし、その一言は、陽向の胸に深く突き刺さった。
――変。
その言葉は、陽向の世界を一瞬で曇らせた。
1. ざわめきの中の孤独
陽向は、机の端を指でなぞった。
その指先は、逃げ場を探しているようだった。
「陽向、聞いてる?」
担任の声が飛んできた。
陽向は、はっとして顔を上げた。
「……はい」
「じゃあ、この文の主語は?」
陽向は、教科書を見た。
しかし、文字が滲んで見えた。
「……わかりません」
教室の空気が、わずかに揺れた。
誰かが小さく笑った。
「またかよ」
その声は、陽向の胸を締めつけた。
陽向は、世界のざわめきの中で、
自分の色が薄れていくのを感じていた。
2. 保健室という避難所
翌日、陽向は教室に入れなかった。
足が止まった。
心臓が早くなった。
呼吸が浅くなった。
「……保健室、行ってきます」
担任にそう告げると、
担任は少しだけ眉をひそめた。
「また? 陽向、大丈夫か?」
その「大丈夫か」は、
陽向には「しっかりしろ」に聞こえた。
保健室のベッドに横になると、
陽向は天井を見つめた。
白い天井。
静かな空気。
遠くで聞こえるチャイム。
ここだけが、陽向の呼吸ができる場所だった。
保健室の先生は、優しい声で言った。
「無理しなくていいよ。
陽向くんのペースでいいからね」
その言葉に、陽向は少しだけ目を閉じた。
――ペース。
その言葉は、陽向の胸に静かに落ちた。
3. 担任とのすれ違い
放課後、担任が陽向を呼んだ。
「陽向、最近どうしたんだ?」
陽向は、言葉を探した。
しかし、喉がつまったように声が出なかった。
「……教室が、ちょっと」
「ちょっとって?」
担任の声は、悪気はない。
しかし、陽向にはその声が重かった。
「みんなと話せないのか?」
「……はい」
「話せるようにならないと、これから困るぞ」
その瞬間、陽向の胸が強く締めつけられた。
――困る。
陽向は、困りたくて困っているわけではない。
話せないのではなく、話す余裕がないのだ。
しかし、その違いを言葉にできなかった。
陽向は、ただうつむいた。
担任はため息をついた。
「陽向、頑張れよ」
その「頑張れ」は、
陽向には「変われ」に聞こえた。
4. 陽向の世界が閉じていく
六月に入ると、陽向は保健室に行く日が増えた。
教室に入ると、胸が苦しくなる。
ざわめきが、陽向の心を削っていく。
「陽向、今日も保健室?」
クラスメイトの声は、悪意はない。
しかし、陽向にはその声が刺さった。
――また。
――また行くの?
――また逃げるの?
陽向は、誰も責めていない。
ただ、世界が怖かった。
陽向は、少しずつ学校から距離を取った。
そして、ある日、ついに学校に行けなくなった。
5. 陽向の沈黙と、母の焦り
家に帰ると、母が言った。
「陽向……今日は?」
陽向は、靴を脱ぎながら言った。
「……行けなかった」
母は、少しだけ息を呑んだ。
「どうして?」
陽向は、言葉を探した。
しかし、言葉は出てこなかった。
「……わからない」
「わからないって……陽向、ちゃんと話してよ」
母の声は震えていた。
陽向は、その震えに胸が痛くなった。
「……ごめん」
「謝ってほしいんじゃないの。
陽向がどうしたいのか、知りたいの」
陽向は、うつむいた。
――どうしたいのか。
陽向は、自分でもわからなかった。
6. 世界のざわめきから逃げた日
六月の終わり、
陽向はついに学校に行くことを諦めた。
布団の中で、陽向は思った。
――行かなきゃいけない。
――でも、行けない。
その矛盾が、陽向の胸を締めつけた。
陽向は、世界のざわめきから逃げた。
しかし、逃げた先にもざわめきはついてきた。
母のため息。
担任の言葉。
クラスメイトの笑い声。
陽向は、世界のどこにも居場所がなかった。
そのとき、母が言った。
「……陽向、相談してみない?
“青の教室”っていうところ」
陽向は、布団の中で目を開けた。
――青の教室。
その名前は、
陽向の胸に小さな光を灯した。