続・青の教室 「ひとりの生徒」 / 第3章 沈黙の食卓

続・青の教室 「ひとりの生徒」 / 第3章 沈黙の食卓

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学び
第3章 沈黙の食卓

陽向が学校に行けなくなってから、家の空気は少しずつ変わっていった。
 変化はゆっくりで、しかし確実だった。
 まるで、部屋の隅に置かれたコップに、毎日少しずつ水が溜まっていくように。

最初は気づかない。
 けれど、ある日ふと見たとき、
 そのコップはもう溢れそうになっている。

陽向の家は、そんなふうに変わっていった。


1. 朝の沈黙

六月のある朝、陽向は布団の中で目を開けた。
 カーテンの隙間から差し込む光は弱く、
 部屋の空気は少し湿っていた。

階下から、母の足音が聞こえた。
 食器の触れ合う音。
 冷蔵庫の扉が開く音。
 トースターのスイッチが押される音。

陽向は、布団の中で息を潜めた。

――今日も、行けない。

その言葉は、陽向の胸の奥で重く沈んでいた。

階段を降りると、母が振り返った。

「……おはよう」

「……おはよう」

母は、陽向の顔をじっと見た。
 その視線は、心配と焦りと、どうしようもない戸惑いが混ざっていた。

「今日は……どう?」

陽向は、視線を落とした。

「……行けない」

母の肩が、わずかに落ちた。

「そっか……」

その「そっか」は、
 陽向には「またか」に聞こえた。


2. 食卓の温度

朝食の時間、食卓には三人分の皿が並んでいた。
 父は新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。
 母は、陽向の皿に卵焼きをよそいながら、
 何度も陽向の顔を見た。

「……食べられる?」

「うん」

陽向は、卵焼きを口に運んだ。
 味はする。
 でも、何も感じなかった。

父が新聞をたたんだ。

「陽向、無理するなよ」

その声は優しかった。
 しかし、陽向には遠く感じた。

母は、父の言葉に小さく反応した。

「無理しないのはいいけど……
  このままでいいのかな」

父は、少しだけ眉を寄せた。

「焦っても仕方ないだろ」

「でも……」

母の声は震えていた。

陽向は、フォークを握る手に力が入った。

――自分のせいだ。

その思いが、陽向の胸を締めつけた。


3. 母の焦り

陽向が学校を休む日が続くと、
 母の表情は日に日に曇っていった。

「陽向、今日はどう?
  午後からでも行けない?」

「……無理」

「無理って……どう無理なの?」

陽向は、言葉を探した。
 しかし、喉がつまったように声が出なかった。

「……わからない」

「わからないって……陽向、ちゃんと話してよ」

母の声は、陽向を責めているわけではない。
 ただ、どうしていいかわからないだけだ。

しかし、陽向にはその違いがわからなかった。

母の焦りは、陽向の胸に重くのしかかった。


4. 父の静かな距離

父は、陽向に強く言うことはなかった。
 しかし、その静けさが陽向にはつらかった。

夕食のあと、父は陽向に言った。

「陽向、散歩でも行くか」

「……いい」

「外の空気、吸ったほうが楽になるかもしれないぞ」

「……いい」

父は、それ以上何も言わなかった。

その沈黙が、陽向には申し訳なかった。

――父にも迷惑をかけている。

陽向は、胸の奥で何度もつぶやいた。


5. 母の涙

ある夜、陽向はリビングの前で足を止めた。
 中から、母の声が聞こえた。

「……どうしたらいいのかわからないの。
  陽向が苦しんでるのに、何もできない」

父の声が返ってきた。

「陽向は陽向のペースでいい。
  俺たちが焦っても仕方ない」

「でも……私、陽向を追い詰めてたかもしれない」

母の声は涙で震えていた。

陽向は、ドアの影で立ち尽くした。

母の涙は、陽向の胸に深く染み込んだ。

――自分のせいだ。

その思いが、陽向の世界をさらに狭くした。


6. 陽向の沈黙

翌朝、陽向は食卓に座った。
 母は、いつもより静かだった。
 父も、何も言わなかった。

沈黙が、食卓を覆っていた。

陽向は、パンをちぎりながら思った。

――どうしたらいいんだろう。

学校に行けば、ざわめきが怖い。
 家にいれば、母の涙が怖い。

陽向には、どこにも居場所がなかった。


7. 青の教室の話

その日の夜、母が言った。

「……陽向、相談してみない?
  “青の教室”っていうところ」

陽向は、顔を上げた。

「青……?」

「うん。
  学校に行けない子が行く場所じゃなくて、
  “息ができる場所”って聞いたの」

陽向は、少しだけ息を吸い込んだ。

――息ができる場所。

その言葉は、陽向の胸に小さな光を灯した。

母は、陽向の目を見て言った。

「行ってみない?」

陽向は、ゆっくりとうなずいた。

「……行ってみる」

母の目に、少しだけ光が戻った。


8. 家庭という世界の色

陽向の家は、静かだった。
 しかし、その静けさは以前とは違っていた。

母は、陽向を責めるのをやめた。
 父は、陽向に無理をさせなくなった。

家の空気は、少しずつ変わり始めていた。

陽向は、その変化を感じていた。
 まだ不安はある。
 まだ怖い。
 でも、家の色が少しだけ柔らかくなった。

そして陽向は、
 青の教室へ向かう決意をした。

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