2023年3月25日
学習塾リバティ 木村友彦
来る4月4日。私は46年か47年ぶりに母校である桐蔭学園中学校(神奈川県)時代の野球部同期の友人たちに会う。去年の6月だったか。その野球部のI君から突然メールをもらった。高校進学時に大阪へ転居した私は、たしか16歳の春だったはずだが、みんなで野球をしたのを最後に連絡を取らなくなってしまった。I君はそんな私を探し出した。あれこれ苦労したあととうとう Facebook で見つけたらしい。I君は去年8月に旅行で関西へ来ることがあって、その際私たちは再会した。「私が茅ヶ崎へ帰省するときにはみんなで会おう」と約束した。それが実現する。みんなとはLINEでつながっている。これからは年に一度かそこらは会って話もできる。けれど、文章でないと伝えられないこともある。これはそんな私の、みんなへの<自己紹介>でもある。
学生時代に自営の学習塾を始めたことはみんなも知っている。20数年前に心の病気にかかってしまったことも伝えてある。1年ぐらい前にモヤモヤしていたものを言葉に表すことができて心が吹っ切れた。そのときに書いたことをもとにして、今はだれにでも知ってもらっていい。話したいと思うことを、今回、改めて文章にしようと思う。
私が心のバランスを崩したのは20数年前。セコムラインズ株式会社という教育の会社との業務委託契約を結んで、「ラインズ先生」という在宅学習の通信生100数十名をかかえていた。通信生への対応・報告書・自営の教室の私自身の塾生への対応で「伸びきったゴム」になってしまった。私は、自分の仕事を自分の意思で、やりがいをもって実行していたが、そんなときに組織X(きっと宗教団体/セコムのOJTと思われる)が私に近づいた。
「お化け」があちこちに出て私は心のバランスを崩し、「辞める」「生徒数0にしてください」と発言した。セコムラインズは、私が仕事を始めた当初から私の思うことをすべて承諾してくれていて、辞めると言ったときも意思を尊重してくれた。その後5月ごろ、関西支社の中核であった私を失ったセコムラインズは、新商品を発売しながらも営業を停止し、解散してしまった。私の心の傷はこうしてできた。セコムグループは「教育」から手を引き現在にいたる。
通信の仕事を辞めたあと、そのことから自営の教室(豊中)も信用を失い、家賃が払えなくなって教室を閉めることになった。すべての仕事を失った私は「伸びきったゴム」でベッドから起き上がることができず、夏に百貨店のお中元配達のアルバイトで汗を流すことでもちなおしたのだけれど、外出するとセコムのお化けとXのお化けが現れて、私の心の病はより深くなりった。(セコムのお化けはその後現れなくなったと思う。今ではセコムの営業車とすれ違うと嬉しく感じるが。)
その冬。私は新光風台の自宅で生徒1人を得て、教室を復活させた。生徒が集まらない中、年が明けたころにお隣の奥さん(故人/事故)が私を助けてくれた。2週間ごとぐらいに5名ほどずつ生徒が集まった。お隣の奥さんがXに所属していたか、窓口をもっていたのかは今となってはもうわからないが、Xの世話になったことは明かだ。私の家のある新光風台という町は、宗教団体を母体とする政党の看板が滅茶やたらと出ている。恩は忘れないのだが、でも「助けるよ」と同時に「叩くよ」がきた。私はXのお化けに叩かれ続け、たとえば生徒宅を訪問しようとしたとき、私は立ち話のおばちゃんたちの1人に「天皇」と言われた。「『天皇』のようになるまでお前を叩くぞ」。そう言われた訳だ。私は現在も近所を散歩できない。したくない。ここ数年のところ、自分の中からリズムを取り戻した私は、大学時代に所属したテニス同好会の同期忘年会にも出席できるようになり、自己肯定することで元気を取り戻している。20数年もお世話になったカウンセラーは、私の回復を見て、処方する薬を減らしてくれた。
私は、自分の教育に対する信念から、Xの方法を認めるわけにはいかない。私は「子どもの味方の大塩平八郎」だ。新光風台から通ってきてくれる子どもたちの多くはのびのびしていない。大人一般にある「管理主義」「理想主義(他人を巻き込む理想主義)」に、新光風台に限らず世の中の子どもたちは苦しんでいる。私は「子どもたちのお手本」として、自分の力で立たなければならなかった。
私の自己実現(自分の自由を確立し自分の教室を成り立たせる)は、通信の仕事をしていたときから、セコムやその他多くの人たちの期待により、世の中の全部ぜーんぶの改革の旗手になることを含んで達成できるように仕組まれているふうがあった。つまりそれは、学習指導はもちろんのことではあるが、営業でも、無系列・非系列(既存の系列である例えば三菱とか住友とか例えばベネッセとか学研とか公文とか、その他どんな系列にも頼らない)の位置を担わされているように思われた。これは私の妄想(心の病気)と重なるが、私は「自分自身」と「世界」と両方の「意思決定の親分」の役割を課されたと思っている。「自分自身の意思決定の親分」ですらもたいへんな方程式だが、「世界」と重ねて解かなければならずに苦労した。それでも「解」にいたり、現在は私は混乱していない。仮に妄想であっても、私自身の納得として病気を克服するために意味は大きいと考えている。<自由>は私のもの。子どもたちのもの。すべての人のものになった。みんな地に足がつかなければ、勉強どころではないではないか。
<ホーム>とは私の言葉。みんなどの人にも<ホーム>の問題がある。もちろん home は「家」。自分の系列とか自分のよって立つ根拠とか。わかりづらければ、<ホーム>は「自分の陣地」とか「自我」とか「個」とか好きな言葉に置き換えて考えていただいたらいい。人が社会を形成するときに、他者と不協和音や争いが絶えないのは<ホーム>の侵害の問題が根にある。多くの子どもたちの問題も、勉強が《ホーム》にならずに苦しんでいること。
自分自身のことで言うとわかりやすいので私のことを述べる。私は、私の仕事にいつの間にか他者の色が忍び込むことが嫌。<自由>という言葉を私自身の言葉としてみなさんに伝えたい。例えば、私自身や私の教室の生徒さんによそからちょっかいを出されると、せっかく私が積み上げているものが台無しになってしまう。侵入禁止区域をはっきりさせておかなければならない。私は、私自身と他のすべての人の<侵入禁止区域>についてやってきたという訳だ。
1961年2月4日に誕生したときから私は一個の個人だった。あたりまえのこと。でももっと当たり前のことに、その誕生のとき、自分についても他者についても<ホーム><侵入禁止区域>について何も認識がなかった。人間は自分の侵入禁止区域を知るためには思春期までか何か成長が必要で、ある意味で人の間でもまれて傷つかなければならない。でもそれは<エレガント>にというのが大事なところで、私が思うに、大人は子どもに例えば学校でそれを教えて、子どもは<エレガント>に学ばなければならない。自分の侵入禁止区域は人それぞれによって違うばかりでなく、自分の相手によって、さらにその時々によっても異なる。
「私の場合」に話を戻す。私は、セコムラインズの仕事をして初めて私自身の仕事とみんなすべてのホームの問題を考えた。というよりも、セコムラインズがそれ自身の営業の問題として、お客さん方のホームの問題を私の上に投げかけた。わかりやすく言うなら、セコムラインズ/セコムは「無系列・非系列」をどこかにもっていたかった。自分のこと、お客さんのこととしてもっていたかった。「ラインズ先生」の販売・営業は、例えば「ヤクルト社」の系列でも行われた。「ラインズ先生」の教務は、「ヤクルト社」の系列のある教務員がいたかどうかわからないけれど、無系列・非系列の教務員によっても行われたと思う。販売・営業・教務それぞれは、もちろん「系列化」を嫌う関係者の中でも行われた。当たり前のことだ。私は「無系列・非系列」の意味を合わせて担っていた。私が成長して「自分になること」にも、私自身の当時の学習塾リバティの教室にも、セコムラインズ/セコムにとっても、それがちょうど都合がよかった。こういう歴史があり、セコムラインズ/セコムは嘘をついたりごまかしをしたりしていない。ちゃんと一言断って入ってきた。私が何のことか理解できず、答えられないままに事態は進んだが、セコムラインズも本当の自由を追いかけていたと思う。私に「案内役」を託したと思う。そういう意味で、私は今現在も自分では「昔の約束」を履行したいと考えている。
<侵入禁止区域>にズカズカ入ってきて、そのことで「自我」を形成させて、それを「教育」と称するのがXのやり方だ。私は人生をかけて承認できない。嫌でしょうがなかったけれども、もうどうしようもなく仕方ないのでXと心中かなって考えたりしていた。
<私の場合>について上述のように書いたが<方程式の解>について書くことにする。私は自分を「オールマイティのスペードのA」という期待を背負っていたと考えている。その「A」の席を消滅はさせることなく「空席」にして確保しようと思う。現実の世界での私自身の小さな立場を<私個人>として持ちながらも、そうすることでセコムやみんなすべての立場を確保できる。言葉は永遠に足りないのだが、これで矛盾はすべて解決する。「Aの空席」は分身の術のごとくいくつでもいくつでも成立する。自分のホームで生きたい人はどの人も自分のホームで生きたらいい。自分の系列で生きたい人はどの人も自分の系列で生きたらいい。Xは、他の人のお節介などをせず、「自分の系列」に引っ込んでいるのがいい。なんで私や他者のところへ来てちょっかいかけるのか。<侵入禁止区域違反>だ。「教育」しようと考えているなら<私>をお手本にしろ。子どもを叱る前に精一杯プリントを作る<私>をお手本にしろ。これが<親分の意思決定>だ。セコムではそれが理解され通っていると感じている。妄想かな。少なくとも、私自身の納得という意味は大きい。
「X」「Y」「Z」「A」「B」「C」の問題についてもお伝えしたい。
私が認識している「X」は「創価学会」である。でも区別がつかずに紛れ込んで「Y」「Z」もいるかもしれない。さらに「いいやつ」や「身内」の「A」「B」「C」・・・もいる可能性が大きくある。でも、私の「個」の<ホーム>を考えるとき、原理的に「他者」は「他者」である。そこにまで、私には<侵入禁止区域>がある。これが突き詰めた<個人主義>ではないかと思う。私はアレルギー持ちのように反応する。いびつな教育の結果である。私は自分では筋を通しているが傷だらけだ。言ってみれば失敗作であって、決してXが考えるような成功例ではない。突き詰めた<個人主義>と<自由の本当の意味>に立つと理解できる。<本当の教育>とはそういうことだと考えている。そして私はようやく個人として社会とつながることができる。これって私の問題であるだけではなく、普遍的にみんなの問題ではないだろうか。
教室の現実問題として、「無系列・非系列」でありながら、学習塾リバティは人気がでて経済的にかつてないほど繁盛している。私が子どもの「個」について発言したり「実現」できたりしていることが主な要因である。もう一つは、「新光風台」ではなく「箕面森町」で理解者・共鳴者が増えていることが要因である。新光風台は真の教育ではなく他のものを見ている。新光風台にも理解者はいるが、私にとっては、そこは今も「戦場」である。私の人生は「子どもの味方の大塩平八郎」であり続けて「戦争」のまんまで時間切れになりそうな予感がある。「無心の境地」など絵に描いた餅。それでも私は「無系列・非系列」であり続け、すべての人が私のお客さんである。子どもたちはまったくもって無垢でまっすぐだ。そんな子どもたちに囲まれ、子どもたちに受け入れられるのが完璧な営業戦略だと考えている。最近ここへきてとてもうまくいきはじめている。私の<自己実現>。幸せ。<侵入禁止区域違反>をする輩に対するしんどい思いと裏腹に、これを書きながら嬉々として夢中になっている私がいる。いくらでもできると思っている。
この文章のもとは去年2022年2月23日。奇しくも天皇誕生日に書くことができた。その日、私はXやお化けのやり方ではなく、私の意思と方法により、「天皇」ではなく<私>になることができた。
私の<自由>は、子どもたちの《自由》で、みなさんも《自由》だ。幸せになるための黄金律がある。みなさんも《自分の心》にしたがって生きていると思う。それは《小さなノーベル平和賞》にも値すると考えている。
4月4日が楽しみだ。