SNSを開いた瞬間、だれかのしあわせそうな写真が目に留まる。
結婚しました。旅行に行きました。仕事が充実しています。
そんな投稿ばかり。
だれかと比べたいわけじゃないのに、気づけば比べて落ち込むことはありませんか?
仕事もプライベートも順調な人を見ると、「素敵だなあ」と思う反面、少し羨ましかったり、妬ましく思ってしまうことも。
でもそれはあくまで、「そう」なのでしょう。
しあわせ「そう」、順調「そう」とあくまで自身の見方のひとつにすぎません。本当のところはきっと本人にしか分からないのだと思います。
見えているものだけが、その人じゃない
私たちはついつい、他人の「見えている部分」を見たいように捉えて判断をしてしまうようです。
本当は、誰にも言えない焦りをかかえているかもしれない。夜、ひとりで泣いているかもしれない。うまくいっているように見えて、必死に自分を保っている人なのかもしれない。
羨ましい、妬ましいと感じる相手のことを、私たちは何割知っているのでしょうか。
きっと、ほんの一部でしょう。
人は自分自身のことですら、半分も理解できていないものです。
本当は何が好きなのか。なにを求めているのか。
そんな私たちが、人の本当の想いに触れることは難しすぎることでしょう。
しあわせは常に自分のなかにある
まわりがしあわせそうに見えるとき。
それは、相手に特別いいことがあるというより、自分のしあわせに気づけない状況であるだけなのかもしれません。
今日もいい天気だとか、気軽に連絡を取れる友達がいるとか、
しあわせは感じようと思えばいくらでも感じられるものでしょう。
誰かの人生は遠くから眺めると、キラキラして見えるのかもしれません。
でも、本当に大切なのは「あなた自身のしあわせ」。
どうせ生きていくのなら、小さなしあわせでもきちんと拾って生きていきたいものですね。