死の恐怖から逃れられない私

記事
ライフスタイル
人生で確実に訪れるもの──それは「死」。
死を恐れるのは、死んだあと自分がどうなるのか分からないから。
自分の意識や記憶がなくなり、自分自身がどうなるのか分からない。そのことがただただ怖い。
死後の世界があるといっても。本当にそんな世界があるかは分からないですし。
そんなことを気にせずに生きている人もいれば、死の恐怖にさいなまれている人もいると思います。
私は後者で、時折、突然、漠然とした恐怖にとらわれることがあります。
こういう感情は、他人にいろいろ言われたり、本とか読んでも変えるのは難しいものだと思います。
自分はこれまで、大げさじゃないものからマジでヤバいものまで、死の恐怖に直面してきました。
会社に勤めていた時の事故では大けがをした。
一歩間違えれば半身不随、あるいは死に至っていたかもしれません。これが本当にリアルな死の危機でした。
まぁ、幸いにも足の骨折(大重症)で済んだので、こうして今この記事を書いているわけですが。
それはさておき、最初に死の恐怖を感じたのは小学生の時でした。
多分、この時の恐怖に今でも縛られているのだと思います。
どんな体験かというと──
友達の家に遊びに行って、庭に出た瞬間、その家のシェパードかなんかの大型犬がいきなり飛びかかってきました。
犬的には「遊んで遊んで!」という感じだったのだろうけど、自分より大きな犬に飛びかかられて大パニック。
顔を引っかかれたりして、軽いけがもしました。
当然、病院へ行くことになり、犬は一応、狂犬病の検査を受けることに。
その時、母親に言われたのが──
「狂犬病だったらあんた死ぬからね」
……はい、その日一日ギャン泣きでした。
今なら分かりますが。
日本では狂犬病の予防注射が義務付けられているし、そんな簡単に感染するものじゃない。
発症前にワクチンを打てば助かる。
でも、小学生の自分にはそんな理屈は関係なかった。
「死ぬ」という言葉だけが、頭の中をぐるぐる回っていた。
これが、初めて直面した「死の恐怖」てした。
次にあったのは、母親から「悪い子にしてると神様に天国へ連れていかれるよ」と言われたこと。
それがまた強烈で、寝る前に「神様ごめんなさい」と言い続ける日々が続いた。
後日そのことを母に話したら、笑っていたけどね。
……こうして書いてみると、ほんと、糞みたいな親だですね。
そんなことが積み重なって、死の恐怖はトラウマになり、
今でもふと、死んだあとのことを想像しては、不安や恐怖に襲われることがあります。
結局、これはどうすることもできない。
いつか死ぬのは確かだから。
だから、この不安や恐怖と一緒に生きていくしかないのだと思う。
そんな中でも、
「人は生まれた瞬間から死に向かって近づいている」
──池波正太郎氏の言葉には、不思議と救われました。
だからこそ、一日一日を大切に生きなければと思うのですが、
……中々に難しいですよね。
嫌なことがあって落ち込んだり、上手くいかずにイライラしたり。
「大切に生きよう」なんて気持ちも、そんな時はどこかへ飛んでいってしまいます。
意識やモチベーションを保つのは、簡単なことじゃない。
でも、そういう日があるからこそ、人は「言葉」に救われるのかもしれません。
誰かの言葉に背中を押されたり、自分の中の想いを言葉にして整理できたり。
不思議と、文字にすることで少しだけ心が落ち着くことがあります。
代筆屋の仕事をしていて思うのは、
「誰かの気持ちを代わりに言葉にする」ということは、
その人の心に寄り添うことでもあるということ。
言葉は、ただの文字の集まりではなく、
その人の“生き方”や“想い”が滲むものなんだと感じます。
だからこそ、私はこれからも、
誰かの想いを丁寧に言葉にしていく仕事を続けていきたいと思っています。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もし「言葉で想いを伝えたい」と感じたときは、
私のサービス紹介ページもご覧ください。
サービスの仔細はこちらからどうぞ
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら