キャリアの歩み方|一を聞いて十を知る、ということ

キャリアの歩み方|一を聞いて十を知る、ということ

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学び
おはようございます。2級キャリアコンサルティング技能士|合同会社たお代表の工藤でございます。今日のテーマは、「一を聞いて十を知る」という言葉についてです。

何かを学んでいる過程で、一度は耳にしたことがあるかもしれない言葉があります。「一を聞いて十を知る。」――この言葉、皆様はどのように捉えていらっしゃいますか。今日は、本来何を伝えようとしていた言葉なのか、そもそもどこから生まれたのか、その成り立ちを紐解いていきたいと思います。

実は、これは『論語』の一節であった

調べてみると、たどり着いたのは、二千五百年ほど前の、ある師弟のやりとりでした。

その言葉は、儒教の祖である孔子と、その弟子たちの対話をまとめた『論語』に記されています。ある日、孔子は弟子の子貢(しこう)に、こう尋ねました。「お前と顔回(がんかい)とでは、どちらが優れているか。」子貢は、こう答えました。「私など、とても顔回には及びません。顔回は、一を聞いて十を知りますが、私は、一を聞いて二を知る程度です。」すると孔子は、こう返しました。「その通り、お前は及ばない。お前だけではない、私もまた、及ばないのだ。」

このやりとりを読んで、皆様は、どのように感じられたでしょうか。

愚か者なのに、優秀なのはどうしてか

実は、この話には、まだ続きがあります。子貢は、「回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る」、顔回は一を聞いて十を知りますが、私は一を聞いて二を知る程度です、と、顔回を称えると同時に、自分自身の理解力についても、はっきりと言い切っています。及ばないと言えるのは、自分の現在地と、目指す先の両方が、正確に見えているからだと思います。

では、顔回は、どうやってその「十」に届いていたのでしょうか。『論語』の別の章には、こんな記述があります。孔子は、顔回と一日中話をしても、顔回が一切異論を唱えないので、最初は「愚か者のようだ」と感じていました。けれど、顔回が退出した後の言動を観察してみると、教えた内容を、きちんと自分の実践として展開できていることに気づきます。

この二つの記述を重ねて読むと、私は、顔回の「十」は、その場で答えとして出した結果ではなく、孔子からの話や教えを素直に聞いて、ただまずは、そのまま言われた通りに実践へと移していった、その積み重ねの先にあったのだと思います。孔子でさえ、その場では見抜けず、時間をかけて確かめて、ようやく「愚か者なのに、実は、自分より優秀であった。」と、気づいたようです。そう顔回が、孔子に思われた理由としては、まさに孔子の言うことを素直に聞き、実直に行動に移した。その積み重ねの果てなのかもしれません。

おわりに

「ローマは一日にして成らず」という諺ですが、学びという視点から捉えると、私はどこか通じるものがあるように感じます。仕事においても、一を聞いてすぐに十を返せることが、優れているとは限らないと、私は思っています。お客様からいただいた一つの依頼を、どれだけ正確に理解し、適切な一として返せるか。その積み重ねの先に、初めて十と呼べるものが生まれるのだと思います。

気がつけば、十に到達していたくらいが、もしかしたら、人生ちょうどいいのかもしれません。無理なく、けれど、着実に。亀であり、牛歩でありながらも、何よりも持続していくことが、大切なのだと、私は思います。

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