こんちにちは。2級キャリアコンサルティング技能士|合同会社たおの代表の工藤でございます。
今日のテーマは、比べる相手は、ほかでもない「昨日の自分」
SNSを開けば、同世代の活躍や、同期の昇進、友人の結婚報告が次々と流れてきます。そのたびに、自分と誰かを比べて、ちくりと胸が痛む。そんな経験は、誰にでもあるのではないかと思います。
今日は、この「比べる」という行為そのものについて、書いてみたいと思います。
なぜ、人と比べてしまうのか
人と比べてしまうこと自体は、決して特別なことではありません。心理学では「社会的比較」と呼ばれ、自分の位置づけを把握するために、人が自然と行っている行動だとされています。
問題は、比べること自体ではなく、比べる対象を、いつも「他人」に設定してしまうことにあるのだと思います。
他人という比較対象の、厄介なところ
他人と比べることには、いくつかの大きな落とし穴があります。そのうちの一つとして考えられることは、比較の条件がまったく揃っていないという点です。
育ってきた環境、持って生まれた気質、置かれている状況、これまで積み重ねてきた時間。どれ一つとして同じ人はいません。にもかかわらず、目に見える結果の部分だけを切り取って比較してしまうと、どうしても自分が劣っている(もしくは優れている)ように感じられてしまいます。
しかも、SNSに映るのは、多くの場合その人の「最も良い瞬間」です。見えている部分と、見えていない努力や苦労の量を、フェアに比べることはできません。
比較対象を、「昨日の自分」に変えてみる
そこでどうしても比べたくなったときは、比較対象を「昨日の自分」に変えてみることをおすすめしています。
昨日の自分と今日の自分であれば、条件はほぼ同じです。同じ環境、同じ気質、同じ立場。違うのは、たった一日分の時間だけです。この一日分の差だけを見つめることで、比較がとてもフェアなものになります。
たとえば、こんな問いかけができます。
❓昨日より、少しでも早く動けたか
❓昨日は言えなかった一言を、今日は言えたか
❓昨日できなかったことは、どんなことだったか
大きな変化である必要はありません。ほんの小さな差でも、そこには確かな成長が刻まれているはずです。
「できなかった」を、「できた」に変えていく
ここで一つ、大切にしている言葉遊びがあります。それは、「出来事」という言葉です。
出来事は、文字通り「出来る」という字でできています。昨日はできなかったことが、今日はできた。その小さな積み重ねこそが、「出来事」の正体なのではないかと思います。
大きな事件や、特別な体験だけが出来事なのではありません。「昨日は言えなかった一言を、今日は言えた」「昨日は後回しにしていたことに、今日は手をつけられた」。そうした一つ一つも、立派な出来事です。
昨日の「できなかった」を責めるのではなく、今日の「できた」として数えていく。この視点の転換ができると、比較は自分を苦しめるものから、自分を励ますものへと変わっていくような気がします。
「足るを知る」にもつながる視点
以前の記事で、「足るを知る者は富む」という老子の言葉を紹介しました。この考え方は、比較の話とも深くつながっているような気がします。
外側にある他人という基準ではなく、自分自身の内側、つまり昨日の自分という基準で満足を測る。これができると、他人の成功が、素直に喜べるものに変わっていくのではないかと思います。他人の幸せが、自分の欠乏を意味しなくなるからです。
おわりに
キャリアの歩み方も、これと同じだと思っています。同期と比べて焦る必要はありません。ただ単に「昨日の自分」と比べ、どんな変化があったか。そこにこそ、自分だけのキャリアの実感が宿っているはずです。
今日、比べる相手に迷ったときは、まず昨日の自分を思い出してみてください。