古いアルバムをめくっていると、ふと手が止まることがあります。
一枚の写真。そこに写っているのは、確かに人なのに、誰なのか分からない。
まるで、その人の人生が、静かにほどけていくような感覚。
名前も、声も、性格も、もうどこにも見当たらない。
ただ、そこに「いた」という証だけが、かすかに残っている。
もしこの世界から、誰にも思い出されなくなったとき、
それが「本当の死」なのかもしれない――
そんなことを時々考えます。
先日、他界した父の子どもの頃の写真を見ていました。
そこには、父の隣に、見知らぬ男性のご老人が写っていました。
長いあごひげをたくわえ、凛々しい表情で、でも優しそうで、
とても印象的な方でした。
「この人、誰だろう?」
父に聞くこともできず、親類も少しずつこの世を去り、
その答えにたどり着くことは、きっともうないのでしょう。
当然その人は、もうずいぶん前に亡くなっているはずです。
そして、その人をよく知る人も、次々といなくなっている。
けれど――
本当に、その人は「いなくなった」と言えるのでしょうか。
こうして写真の中に残り、
誰かがふと目を留めて、少しだけでも思いを巡らせる。
それだけで、その人は、まだこの世界のどこかに
やさしく存在しているような気がするのです。
たとえ名前が分からなくなっても。
どんな人だったのか、思い出せなくなっても。
極端な話、歴史の中の人物が、
実際の姿とはかけ離れたイラストで描かれていたとしても、
「その人がいた」という記憶が、どこかに残り続ける限り、
完全に消えてしまったわけではない。
人は、記憶の中で生き続けるのかもしれません。
だからこそ、写真には意味があるのだと思います。
何気なく撮った一枚が、
何十年後かに、誰かの手の中で、そっと誰かを蘇らせる。
「この人誰?」
その問いには、答えがなくてもいいのかもしれません。
思い出そうとする、その一瞬こそが、その人をこの世界に引き戻しているのだから。