【感謝という祈り】第1回
「いただきます」と「ごちそうさま」は、「ありがとう」と同じ感謝の言葉
食事の前に手を合わせて「いただきます」と言う。食事が終わったら「ごちそうさま」と言う。
日本では当たり前のように繰り返されるこの言葉を、あなたはどんな気持ちで言っていますか?
子どもの頃、親に言われるまま口にしていたこの言葉の意味を、大人になってから改めて考えたとき、私はその深さに静かに驚きました。
「いただきます」が意味すること
「いただきます」の「いただく」は、もともと「頂く」——頭の上に掲げて受け取る——という意味を持つ言葉です。
私たちは食事のたびに、何かの命をいただいています。
牛や豚や鶏。魚や貝。米や野菜や果物。どれも、つい先ほどまで生きていた命です。私たちはその命を糧として、自分の命を繋いでいます。
「いただきます」は、その事実に対する言葉です。
自分が生きていくために、別の命をいただくことへの、静かな感謝と敬意。それがこの言葉の根っこにあるものだと、私は思っています。
「ごちそうさま」が意味すること
「ごちそうさま」の「ごちそう」は、漢字で「御馳走」と書きます。
馳走とは、馬を走らせることを意味します。かつて客人をもてなすために、食材を集めるべく馬を走らせて奔走した——その姿が「馳走」という言葉の起源です。
つまり「ごちそうさま」とは、この食事が整うまでに動いてくれたすべての人への感謝の言葉です。
食材を育てた農家の方。漁をした漁師の方。運んだ人。売った人。そして調理してくれた人。一つの食事が食卓に並ぶまでに、どれだけ多くの人の手と時間と労力が注がれているか。「ごちそうさま」はその全てに向けられた言葉です。
命の連鎖の中に、私たちはいる
私たちが食べるものは、すべて何かの命です。
動物も植物も、それぞれの命を持って生きています。その命が、私たちの命を支えています。そしてその命を育てるのは、土であり、水であり、太陽であり、空気です。人間の手が加わる前から、自然がその営みを支えています。
この連鎖の中に、私たちは生かされています。
「生きている」のではなく、「生かされている」。
その感覚を、食事のたびに思い起こさせてくれる言葉が、「いただきます」と「ごちそうさま」なのだと思います。
全ては、摂理の中にある
私は、神とは特定の宗教の神様ではなく、神=自然の摂理そのもの、宇宙の真理そのものだと感じています。
動物も植物も、土も水も太陽も、そして人間も——この世界に存在するすべては、その摂理の中から生まれてきたもの(神の創造物)です。
食材を育む大地も、命を繋ぐ水も、人が食事を作るという行為も、その全てが摂理の中にある。つまり私にとっては、食卓に並ぶ一つひとつが、摂理の中から現れた命の形なのです。
だから「いただきます」は、命への感謝であると同時に、その命を生み出した摂理(神)への感謝でもある。「ごちそうさま」は、関わったすべての人への感謝であると同時に、その人たちを動かした摂理への感謝でもある。
そう考えると、「いただきます」と「ごちそうさま」は、「ありがとう」と同じ言葉です。ただ、その「ありがとう」の向かう先が、目の前の人だけでなく、命の連鎖全体、そして自然の摂理そのものにまで広がっているのです。
祈りとは、お願いではなく感謝なのかもしれない
私は、神に対して、何かを叶えてもらうためだけの祈りはあまりしません。
もちろん、人が苦しいときに願うことそのものを否定しているわけではありません。苦しいとき、辛いとき、誰かに縋りたくなる気持ちは、とても自然なことだと思います。
ただ私自身は、神を「人間の都合に応じてくれる存在」としては捉えていないのです。
自然の摂理は、誰かの願いで変わるものではありません。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。種を蒔けば芽が出て、育てれば実を結ぶ。この流れは、人間の祈りで変わるものではありません。
だからこそ、神に向けるべきは、お願いではなく感謝だと私は感じています。
今日も命をいただけたことへの感謝。
今日もこの命が続いていることへの感謝。
その感謝を静かに手を合わせて伝える——それが、私にとっての祈りの姿です。
この感覚は、アインシュタインが語ったとされる宇宙的な秩序への畏敬の念、いわゆる「スピノザの神」という考え方にも、どこか通じるものがあるのかもしれません。
「いただきます」を、もう一度
食事の前に手を合わせて「いただきます」と言うとき、その言葉の中にはこれだけのものが含まれています。
命をいただくことへの感謝。
それを育ててくれた自然への感謝。
関わってくれたすべての人への感謝。
そして、この全てを包む摂理への感謝。
それはつまり、「ありがとう」です。
ただ、その「ありがとう」は、特定の誰かではなく、この世界全体に向けられている。
そう思って次の食事のとき、少しだけ丁寧に手を合わせてみてください。いつもと同じ言葉が、少し違って聞こえるかもしれません。
次回【感謝という祈り】
第2回では、「祈り」と「感謝」の関係について、私自身の考えをもう少し深いところまで綴ってみます。
「祈りとは、お願いではなく感謝なのかもしれない」
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数理鑑定師 無紋(むもん)