幼い頃から社会人になる前の私

記事
コラム

●幼少期・学童期の私

幼い頃、両親教員の厳しい躾の下で育った私は、思うように自分を出せず、「青白い顔の子」というレッテルを貼られるほど病弱な幼少期を過ごしました。よく気持ちが悪くなって寝込んだり、たんこぶのような大きな蕁麻疹をよく出していました。

まわりの模範たれと、常にまわりと比べられ、学業で劣ることを許されなかった(そう思い込んでいた)んです。だから小中学時代は優等生を演じ、学級、学校の役員を進んで引き受けていました。小学5年生の頃だったか、自分の鼓動や呼吸が異常に気になり、これが止まったら…ノイローゼのような状態を経験したこともあります。心配した父親に催眠療法に連れていかれましたが効きませんでしたね。でも、効いたフリをしてごまかしたりしました。100点満点以外は喜んでくれない母親の顔色をいつも気にし、試験が苦痛でしかたなかった。授業中腹痛に襲われたり、朝礼で倒れたりすることもありました。私の身体は、言葉にできない私の苦しさを、こんな症状(ストレスサイン)として、たくさん出してくれていたのですが、そんな知識は当時の私にはありません。親からは常にクスリを飲まされ、それが当たり前だと疑いもしませんでした。

●学生時代の私

高校は、いわゆる進学校に進みましたが、それで成績がグッと落ち、いくら頑張っても一番にはなれない。それが幸いしたんです!おかげでクラブ活動という楽しみに出会え、まわりのみんなは受験準備で早々と退部していく中で、私は高校3年の夏までスポーツ三昧の日々。彼女もでき、とても健康的な思春期を送ることができました。

父親は家で私塾を開き、正月などは教え子が訪ねてきたりしました。そんな父の姿を見て、漠然と自分も教師になりたいと思い始めていました。数学や物理が得意で、高校の先生になりたい…。でも、そんな夢は、大学受験の失敗で崩れ去ります。そう、問題の「試験」です。失敗は許されないというプレッシャーで、受験初日は頭が真っ白…。それでも、当時、二期校と呼ばれていた大学にひっかかり、授業の傍ら、好きな写真を撮りながら大学生活を謳歌します。終盤、卒論ゼミの相棒が実験を私に任せ、学校に出てこなくなる。無理した私は、死ぬかと思うほどの脇腹痛に襲われました。尿管結石。そして、十二指腸潰瘍にもなっていた。また、身体は必死に訴えてくれた。なのに無知な私は、また医療に頼り、クスリで無理やり症状を消そうとしていたんです。どうしてそんな病気になるのか、考えることもありませんでしたが、大学のドイツ語のテキストで読んだ「ボートの三人男」の中の病気の話が、なんだか気になっていたことだけは記憶に残っています。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す ココナラコンテンツマーケット ノウハウ記事・テンプレート・デザイン素材はこちら