自己紹介に代えて

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2019年12月初旬、中国・武漢市で第1例目の感染者が報告された新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、わずか数カ月ほどの間にパンデミックと言われる世界的な流行となりました。私がちょうど、約39年勤めた会社員を辞めたときに重なりました。定年して1年間お礼奉公をしながら、契約したコワーキング・スペースで月2回、ソーシャルスキル・トレーニングを中心とした勉強会を開いたり、生きづらさを訴える人の個人セッションを始め、第2の人生やりたいことで生きていこうと決めた矢先のことでした。その第1弾として企画した「ナユタで健康・癒しのマルシェ」には、名古屋以外に兵庫県の三田市や養父市からの出店者も参加され、私にとって嬉しいスタートとなったのですが、開催直前の2月27日に、安倍元首相から全国小中学校一斉休校の要請がなされました。参加事前申込者から続々とキャンセルが入る。出店者の意思を確認し開催するも、訪れてくれるお客さまは疎らで惨憺たる結果に終わる。意気消沈した私は、1年間の準備をすべて白紙に戻し、活動自粛社会の中で、出生以来味わったことのないほどの、とても自由な生活時間を味わいながら情勢を見守ったのでした。

しかし、1年もすると焦りが出てきます。まわりには在宅勤務の人も増え、土日以外でもホームセンターなどは人手が多い。自分が会社で働いていた頃とは、随分と職場環境も変わったのでしょう。いまの人たちは、どんなことに困っているのだろう。私のやりたかったことは、変容した社会の中でも役に立てるのだろうか…。自問自答を繰り返し、得意なインターネットを使ってバーチャルなコミュニティをつくり、リアル開催していた講座を画面越しにやってみました。しかし、この間に、それまでビジネス経験もない主婦たちが、SNSを使って仲間を募り、思い思いに話をし、自身の経験やスキルでビジネスを始めていたのです。乗り遅れた、すごい時代になった…。そう感じた私は、2022年2月、先達の教えを受けながら、Facebookのタイムラインで、生まれて初めての公開連続ライブをやってみました。定年すぎたこんなオジサンの話を誰が聞きたいと思ってくれるのだろう。半信半疑ながらやってみると、思いのほか反響をいただいた。そして、続けたことで家族も応援してくれるようになったのです。

2023年5月8日、新型コロナは5類感染症に移行し、ようやく半強制的なマスク着用からも解放され、街は活気を取り戻しつつあるのですが…。
医療業界にあり、医療情報関連のシステム・エンジニアや診断支援機器の研究開発者として多くの医師たちと関わる中で、現代医療の無力さを思い知りました。それで、疾病予防事業に転身するも、国の進める健康施策や健康常識さえ疑うようになっていきました。健診・検査が病人を作っているのではないかと。「日本の病院は野戦病院にしか過ぎない」、これは2006年に発刊された宗像恒次(ヘルスカウンセリング開発者)の書「SAT療法」の中の一節です。
あまりに長い自粛社会の中で、日本国民は疲弊していく。馴染みの飲食店も幾つか閉店し、30年続く経済の低迷は改善せず、社会保険料や税金、物価は上がり続ける。そんな社会状況に、多くの人が将来に安心を見出すことができず、自ら命を絶つ人も増えていると聞きます。あなたは、自分の子供たちに、明るい未来を語ることができますか?

常に10年先を予見して仕事してきた私が、コロナ社会になって先が見えなくなってしまった。なにが真実なのかがわからない。試行錯誤の末、会社員時代に抱いていた疑念が確信に変わると直感し、歴史の真実や地政学、そして今さらながら、資本経済について学び直してもみました。そのことでいろんなことが、再び見えるようになってきています。
だからいま、そんな知識も加えながら、メンタル・トレーニングで日本人を元気にしたいんです。


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