*HSP(繊細さん)の悩み
*毒親と思ってしまう悩み
*子育ての悩み
*別居や離婚をしたい
*パニック症・対人恐怖症の悩み
*自分らしさってなに?の悩み
*アトピー性皮膚炎の悩み
*公務員を辞めたいけれど勇気がない
*保育士資格の勉強が大変
*家族(夫・子ども)のぐち

家族全員の赤ちゃんの時の写真をリビングにまとめて飾っています

「子育て」でなく「子育ち」小児科医の真弓定夫先生のお言葉です

”生まれてきてくれてありがとう”筆文字アート教室の作品です

”自分に帰ろう 自分に戻ろう” 役割が重荷で疲れた方へ

朝焼けと霧と雲が素敵な早朝のごみ拾い。すっきりしました。

ばらを育てていました。これは一番お気に入りのばらです。

「お母さん、助かったよ」と伝えることで、信頼関係ができます

手作りケーキを娘が作ってくれました。美味しかったです^^
ライフスタイル・その他 / カウンセラー・コーチ 経験年数 : 20年
ライフスタイル・その他 / 保育士・ベビーシッター 経験年数 : 12年
ライフスタイル・その他 / 公務員 経験年数 : 6年
WordPress 経験年数 : 4年
JIMDO 経験年数 : 4年
Excel 経験年数 : 4年
Google スプレッドシート 経験年数 : 3年
Keynote 経験年数 : 5年
Numbers 経験年数 : 5年
・*HSP(繊細さん)の悩み
◎毎日が生きづらい、いろんなことが気になる ◎人と一緒にいることが辛い、人混みが苦手 ◎まぶしいところやうるさい音が苦手 ◎社会でやっていけないのでは、と思う ◎小さい頃から何か人とは違う、と思ってしまう 繊細さんゆえに、このようなことを思っていませんか? 「そんなこと気にするな」と言われ、 周りの人から理解されにくく悩みを相談する相手がいない こういった思いを丁寧にお聞きします。
・*毒親と思ってしまう悩み
◎父親が支配的で、男の人が怖く感じる ◎母親が過干渉で、逃げたくても逃げられない ◎幼少期の体験から、人と関係を持つのが怖くなる ◎自分の本音が分からなくなっている ◎自己否定感が強い わたしは、父親が支配的で、随分と苦労をしました。 (現在は和解しています) 母親は優しかったですが、父が怖く わたしを守ってはくれませんでした。 あなたの毒親経験での辛い思いを丁寧にお聞きします。
・*子育ての悩み
◎育児の専門家(保育士・教師・看護師)なのに子育てに悩む ◎発達障害があり、育児がとても困難 ◎子どもに愛情を感じられない ◎母親失格だと思う ◎義親から育児に関して干渉されてしまう わたしの長女も、ADHD傾向やアトピーがあり、 保育士をしていたにも関わらず、 育てにくい子どもだと感じていました。 現在長女は大学を卒業し社会人になりました。 あなたの悩みを丁寧にお聞きします。
・*別居や離婚をしたい
◎夫からモラハラを受けている ◎長年色々と我慢してきたがもう限界 ◎大きな問題はないが、価値観が合わず苦しい ◎経済的DVを受けている(生活費をケチる等) ◎別居や離婚をしたいが勇気が出ない 好きで結婚をしても、長年一緒にいるといろいろと問題も出てきます。 普段身近な人に相談できない夫婦の悩みを、丁寧にお聞きします。 秘密は厳守しますので(機密保持契約NDA)安心してお話しください。
・*パニック症・対人恐怖症の悩み
◎電車やエレベーターに乗れない ◎人が怖くて話ができない ◎他人が運転する車に乗れない ◎パニック症状が起こり外出が困難 ◎人と話すのが苦手て、仕事ができない ◎学校や仕事場に行きづらい、行けない わたしもこういった経験があります。 医療行為はできませんが、あなたの苦しみを丁寧にお聞きすることはできます。 周りの人に話しても共感してくれない悩みをお聞かせください。
・*自分らしさってなに?の悩み
◎自分の進む道が見えない ◎自分の本音が分からない ◎好きなことややりたいことが分からない ◎自分らしい生き方ってどういうこと? HSP(繊細さん)は、自分の感性に自信が持てず、自己否定をしてしまうと、 自分の本音や好きなことが分からなくなってしまいます。 わたしも以前はそうでした。自分らしさを取り戻すためにいろいろなことをしてきました。 あなたの自分らしさを一緒に探していきたいです
・*アトピー性皮膚炎の悩み
◎我が子がアトピーでとても苦しい ◎自分がアトピーで悩んでいる ◎脱ステロイドがとても大変 ◎病院に頼らずに本当に治るのか ◎ステロイドの不安 今は社会人になった長女が、乳幼児期にアトピー性皮膚炎があり、沢山悩み苦しんできました。 直接治すことはできませんが、あなたの苦しみや悩みを丁寧にお聞きします。 秘密は厳守しますので(機密保持契約NDA)どんなことでも安心してお話しください。
・*公務員を辞めたいけれど勇気がない
◎自分には合っていないと分かるけれど辞められない ◎一生懸命勉強して公務員になったから迷ってしまう ◎周りの人の期待を裏切れない ◎この先、安定した職業につけるか不安 ◎自分の方向性が分からない わたしも、一生懸命勉強してなった公務員を退職するかどうか真剣に悩みました。 あなたのお悩みを丁寧にお聞きします。
・*保育士資格の勉強が大変
◎保育士資格を取る勉強をしていてとても大変 ◎育児や仕事との両立が困難 ◎1人での勉強で孤独 ◎保育士の実情を知りたい わたしも、大学卒業・就職をしてから保育士資格を取りました。 一人暮らしで働きながらだったので、とても大変でした。 あなたのお悩みを丁寧にお聞きします。
・*家族(夫・子ども)のぐち
◎特に夫に対して大きな不満はないけれど、日常で些細なことで違和感を感じる ◎子どもはかわいいと思うが、24時間一緒にいると、とてもきゅうくつに感じることがある ◎ママ友等、身近な人に話すと少し支障があるかも・・・でも誰かに聞いてもらいたい こんなことを思うことはありませんか?わたしも日々思っていました。 あなたのお話を丁寧にお聞きします。
保育士 取得年:1998年
幼稚園教諭免許 取得年:1996年
高等学校教諭免許 取得年:1989年
父が刑事、母が専業主婦 1970年9月 〜 1980年8月
・モラハラ家庭で育つ 1970年9月 〜 1980年8月
父は九州出身で 大学進学のために上京後、 警視庁の刑事になりました。 刑事という仕事は、 人の一番醜い部分=犯罪を毎日仕事として 扱います。 また警察という組織は、厳しい縦社会なので、 心身ともにかなりストレスがある環境の中、 「家族を養うため」 毎日出勤し続けていた父でした。 人の親になって、 家族を養うことがどれだけ大変か、 ということがわかるのですが、 幼い当時はそんなことは分かりもせず、 ただただ父を怖い存在だと思っていました。 九州男児の亭主関白で、 一度座ったら動かず、 「誰のおかげで飯が食えているんだ」と言い、 「箸!(もってこい)」と 母に命令する姿を毎日見ていました。 今で言うモラハラですが、 昭和の時代はよくある光景だと思います。 それでも、一緒に散歩に行ったり、 家族を国内旅行へ連れて行ってくれる 父のことが大好きな時期でした。 母は専業主婦で、 末子のわたしが小5になった頃、 「そろそろ社会に出たい」と 仕事を始めようとしたところ、 「お前が仕事を始めるなら俺は辞める」と言って、 母が仕事をすることを許しませんでした。 この時わたしは「母の自由じゃない。」と言うと、 「子どもは黙ってろ!」と叩かれました。 この時から、それまで大好きだった父から一変、 大嫌いになってしまいました。 このような両親のもとで次女として、 関東の住宅街に住み、小さい頃は近所の友達と、 学校から帰った後外遊びを毎日楽しんでいました。 鬼ごっこや缶けり、 ドッチボールやローラースケート等、 年上も年下も関係なく 夕方まで一緒に遊んでいました。
父への反発からジェンダー意識へ 1980年4月 〜 1983年3月
・母の「離婚したい」を聞く毎日 1980年4月 〜 1983年3月
◎大好きだった父が、怖い存在になった 小学校4年生頃までは、 わたしは父が大好きでした。 一緒に散歩をしたり、 夏には盆踊りへ出かけたり。 今でも楽しかった思い出があります。 でも、小学校5年生頃から、 少しずつ父への気持ちが変わりました。 母が働くことを、 父が禁止したことがきっかけでした。 ちょうど思春期でもあり、 父への反発心が強くなりました。 父自身も、この頃は 仕事のストレスが大きかったと思います。 「翌日の仕事に備えるため」と、 毎晩9時には寝ていました。 そのため家の中では、 父を起こさないようにすることが とても大切になっていました。 ◎「音を立ててはいけない」家 中学生の頃のことです。 夜9時頃、2階の自分の部屋で テスト勉強をしていました。 すると突然、 1階から父の怒鳴り声がしました。 「うるさいっ!」 椅子がきしむ音が、 気になったようでした。 そして父は、 家中のブレーカーを 全部落としてしまいました。 わたしは、 ただ勉強中に少し姿勢を 変えただけでした。 それだけで、 家中が真っ暗になりました。 とても怖かったことを、 今でも覚えています。 別の日には、 夜中に寝返りを打った時でした。 ベッドが少し、 きしんだのだと思います。 「うるさいっ!」 父が怒鳴りながら、 わたしの部屋へ来ました。 そして、 ベッドのマットごと ひっくり返しました。 それ以来わたしは、 できるだけ寝返りを打たないように 緊張して眠るようになりました。 勉強をする時も、 「なるべく動かないように」 と気をつけていました。 今振り返ると、 とても異常な状態だったと思います。 でも当時は、 それが日常でした。 「父を怒らせないこと」 それが家の中で、 とても大切になっていました。 24時間いつも、 神経を使っていたように思います。 母は父に、 「1階で寝るのが気になるなら、 2階の書斎で寝たら?」 と提案していました。 でも父は、 その意見を聞き入れませんでした。 母も専業主婦だったため、 それ以上は強く言えませんでした。 ◎中学生の作文に残っていた本音 当時、学校で書いた作文があります。 家庭生活の良い点と悪い点を 書くという課題でした。 わたしは、 こんなことを書いていました。 「良い点は、 家族全員でマラソンをしたり、 食事をしたりすることです。」 そして悪い点として、 「親が自分の意見を 必要以上に子どもに押し付けること」 と書いていました。 中学生のわたしは、 すでに家の中で感じていたことを 言葉にしていたのです。 ◎家族で毎週マラソン 小学生から中学生頃まで、 日曜日の早朝には、 家族みんなで マラソンをしていました。 父が家族の体力を つけようと考えたからです。 今思えば、 父なりの愛情だったのでしょう。 でも小学校高学年になると、 わたしには大きな悩みでした。 近所の同級生の男子に、 走っている姿を見られるのが とても恥ずかしかったのです。 でも、 「マラソンをしたくない」 とは怖くて言えません。 その男子の家の前では、 できるだけ早く通り過ぎました。 「嫌だ」と言えない。 「やめたい」と言えない。 そんな経験が、 少しずつ積み重なっていました。 当時の昭和の家庭には、 親の価値観を子どもに 強く求める家庭も 多かったと思います。 父も、 「家族のために良いことをする」 という思いがあったのでしょう。 でも、受け取る側の子どもには、 それが苦しいこともあります。 特にわたしは、 周囲の空気を強く感じるタイプでした。 父の言葉や態度を、 敏感に受け取っていたのだと思います。 ◎「男女平等」という言葉 別の作文には、 こんなことも書いていました。 「私にもあと数年すれば、 必ずふりかかってくる 男女の平等問題。」 そして、 「大人になっても、 この新鮮な気持ちを 忘れないようにしたい」 と書いていました。 中学生のわたしは、 「父のことを訴えたい」 という気持ちもありました。 でも当時は、 今のようなインターネットもありません。 どこへ相談すればいいのか、 どう伝えればいいのかも分かりません。 結局、誰にも言えないまま、 悶々とした日々を過ごしていました。 ◎母から聞いていた結婚の悩み 母からは、 父への愚痴もよく聞きました。 「離婚したいけれど、 子どもを2人連れてはできない。」 そんな話を聞くたびに、 複雑な気持ちになりました。 2人姉妹の次女だったわたしは、 「わたしがいるから、 お母さんは離婚できないの?」 と感じていたのです。 また母は、 「○○さんの家も、 △△さんの家も亭主関白。 だから仕方がない。」 と、自分に言い聞かせるように 話すこともありました。 今、わたし自身が母になり、 当時の母の気持ちも分かります。 母は、 娘たちへの愛情があったからこそ、 厳しい父との生活を 耐えていたのでしょう。 それでも当時のわたしは、 「両親には仲良くしてほしい」 と思っていました。 「お互いを尊敬してほしい」 「愛し合う夫婦でいてほしい」 そんな願いが、 心の中にあったのだと思います。 ◎「結婚って何だろう?」 母は父への不満を口にする。 それでも、 父と一緒に暮らしている。 わたしには、 それが不思議でした。 「お母さんは、 お父さんが好きじゃないのに、 どうして一緒にいるの?」 「経済的な理由なのかな?」 「それなら、 結婚って何なんだろう?」 そんなことを、 何度も考えました。 母から聞いた話では、 大正生まれの祖母は、 「結婚は会社経営と似ている」 と言っていたそうです。 祖母は九州から東京へ出て、 看護師になりました。 そして警察官だった祖父と 結婚しました。 とても肝の据わった人で、 「死体より、 生きている人間の方が怖い。」 「死んだ人は何もしないから。」 と話していたそうです。 一人で霊安室にいることも、 平気だったと聞いています。 ◎ 家族の中にもいろいろな結婚がある 祖父母の長男である叔父は、 アメリカの女性と結婚しました。 穏やかで、 ベジタリアンの女性だったそうです。 長い遠距離恋愛を経て結婚し、 叔父はそのまま アメリカに住むことになりました。 太平洋戦争を経験した 祖父母ですが、 叔父の結婚には 反対しなかったそうです。 そんな話を母から聞きながら、 わたしはよく考えていました。 「結婚って、 いったい何なんだろう?」 両親の結婚。 祖父母の結婚。 叔父の結婚。 同じ「結婚」でも、 それぞれ全く違います。 その違いを見ながら、 自分はどんな結婚をしたいのかを 考えるようになりました。 ◎中学生のわたしが決めていたこと わたしが結婚するなら、 地位や名誉のある人よりも、 穏やかな人がいい。 怒鳴らない人。 威張らない人。 相手を尊重できる人。 そして、 「徳のある人がいい」 と思っていました。 中学生だったわたしが、 自分の結婚について 考え始めた原点です。 当時はまだ、 その後どんな人生を歩むのか 何も分かりませんでした。 でも、 「自分はどんな人と、 どんな家庭を作りたいのか」 という問いは、 心の奥に残り続けました。 そして後に自分が結婚し、 子どもを育てる中で、 「家族とは何か」 「人を尊重するとは何か」 ということを、 さらに深く考えるようになります。
表情が気になる対人恐怖症 1983年4月 〜 1988年3月
・神経質症の自助グループに参加 1983年4月 〜 1988年3月
◎人と話すことが怖くなった中学生時代 家での緊張した状態。 父への反発心。 そして学校での部活動や、 人間関係の悩み。 いろいろなことが重なり、 心がかなり疲れていました。 当時のわたしは、 周りの環境から強く影響を受ける気質 がありました。 今でいう「HSP」です。 HSPは病気ではありません。 ただ、周囲の空気や人の反応を 強く感じやすい傾向があります。 当時は、その影響を うまく受け止められませんでした。 そんな中学3年生の頃。 学校で一緒に委員をしていた男子から、 「顔が引きつっているよ」 と言われました。 本人には、 何気ない一言だったと思います。 でも、わたしには とても大きな出来事でした。 それ以来、 「今、どんな顔をしている?」 「変な表情になっていない?」 と、自分の顔が 気になるようになりました。 友達と話す時も、 自分の表情ばかり気になります。 どういう顔をすればいいのか、 分からなくなっていきました。 そして少しずつ、 人と話すことが怖くなりました。 思春期は誰でも、 自分のことが気になる時期です。 でも、わたしの場合は 今振り返ると、 心がとても疲れていて、 かなり強く感じられてしまいました。 ◎心療内科へ行ってみる 小学校5年生頃から、 自己啓発の本を読んでいました。 そのため、 「これは対人恐怖症かもしれない」 と、自分で気づきました。 母に、 「心療内科に行きたい」 と伝えました。 母は、 「思春期だからだよ」 「大人になれば大丈夫」 と前向きな言葉を言ってくれ、 一緒に心療内科へ行きました。 診察は、5分ほどで終わり、 薬をもらいましたが、 「これでは治らない」 と、中学生ながら感じました。 そこで、さらに 心理学の本を読むようになりました。 自分の苦しさを、 自分で何とかしたかったのです。 ◎苦しいまま参加した修学旅行 ちょうど修学旅行の時期でした。 本当は行きたくありませんでした。 でも当時は、 「学校へ行かない」 とは言いにくい時代でした。 かなり無理をして参加しました。 京都のお店では、 みんなで湯呑みに絵を描きました。 わたしが描いたのは、 吹奏楽部で担当していた オーボエという楽器でした。 当時の部活動は、 * 努力すること * 根性を出すこと * 休まず続けること が当たり前でした。 吹奏楽部も、 まさにそんな雰囲気で、 大学生のOBから指導を受けながら 「部活中心」の生活をしていました。 表情が気になりながらも、 何とか学校へ通い、 そして中学3年の秋まで、 部活動を続けました。 高校受験を終え、 4月から高校生になりました。 ◎高校生になっても続いた悩み 進学校でしたが、 穏やかな雰囲気の高校でした。 それでも、 自分の表情が気になることは なくなりませんでした。 むしろ高校生になり、 さらに強くなりました。 でも、悩んでいることは 絶対に知られたくありませんでした。 だから、 できるだけ普通に振る舞いました。 外から見ると、 普通の高校生だったと思います。 でも心の中は、 いつもビクビクしていました。 「今、変な顔をしていないかな」 「相手はどう思っているかな」 そんなことばかり考えていました。 学校を休みたいと思っても、 休むことができませんでした。 なぜか学校を休むと、 「負けた」ように感じたのです。 砂をかむような気持ちで、 毎日学校へ通っていました。 家に帰っても、 特に楽しみはありません。 ユーミンやサザン、 渡辺美里などの音楽を、 ぼんやり聴いていました。 周りの友達は、 とても楽しそうに見えました。 もちろん、 本当の気持ちは分かりません。 でも当時のわたしには、 みんなが輝いて見えました。 いじめがあったわけではありません。 それでも、 毎日がとても苦しかったのです。 今ならマスクがありますが、 当時は、 「マスクがあれば、 どんなに楽だっただろう」 と思うこともありました。 人に気づかれないように、 あめを口に入れることもありました。 あめをなめることで、 自分の表情への意識を そらそうとしていたのです。 身体は生きています。 でも心は、 死んでいるようでした。 それでも、 人には知られたくありません。 無理をしながら、 部活動も続けていました。 そんなある日、 「もう本当に嫌だ」 と思いました。 そして、 「学校は辞められない」 でも、 「部活なら辞められる」 と気づき、 そして高校2年生で、 部活動を辞めました。 ◎自助グループとの出会い そんな葛藤の中で、 「生活の発見会」を知りました。 これは、 心の悩みを抱える人たちが集まり、 自分の体験を話したり、 お互いの経験から学んだりする会です。 もとになっているのは、 「森田療法」という考え方です。 森田療法は、 日本で生まれた心の治療法です。 簡単にいうと、 「不安をなくそうとするより、 不安があってもやるべきことをする」 という考え方です。 例えば、 * 鍵が閉まっているか気になる * 人の視線が気になる * 手を何度も洗ってしまう * お腹の調子が気になる * 人と話すのが怖い など。 こうした悩みは、 誰にでも起こることがあります。 でも、 「こんな不安がある自分はおかしい」 と思い込むと、 さらに不安が強くなります。 そして、 不安をなくそうとすればするほど、 かえって不安が大きくなる。 森田療法では、 そのような心の動きを学びます。 ◎「自分だけではない」と知った 心理学の本を読んでいた時、 この会の存在を知りました。 両親には、 「変な宗教ではないから」 と説明して、 東京の本部へ参加しました。 そこには、 本当にいろいろな人がいました。 会社員、公務員、学生、主婦。 年齢も性別もさまざまです。 一見すると、 普通の人たちに見えます。 でも話を聞いてみると、 それぞれ悩みを抱えていました。 例えば、 * 外出すると鍵が気になる * 手を何度も洗ってしまう * お腹の調子が気になる * 人の視線が気になる * 人と話すことが怖い などです。 「悩んでいるのは、 自分だけではない」 そう思えたことが、 大きな安心になりました。 そして、 「不安があるからといって、 自分がおかしいわけではない」 ということも学びました。 会では、 自分自身の体験を振り返ります。 そして、 その体験をみんなの前で 話す機会もありました。 話すことで、 自分の気持ちも少しずつ 整理されていきました。 その後は月に一度、 近くの地域の集まりに 参加しました。 わたしが参加していた会は、 15人ほどの小さな集まりで、 高校生は、 わたし一人でした。 社会人や主婦の方々が、 とても優しく接してくださいました。 その場所は、 漢方薬のようでした。 すぐに何かが変わるわけではありません。 でも、少しずつ、 心にしみていくような感覚でした。 ◎悩みを抱えながら大学受験へ 自助グループに参加しながら、 大学受験の勉強もしました。 塾には通わず、 自分の部屋で勉強していました。 でも一人で勉強していても、 顔の引きつりが気になります。 「なぜ一人なのに、 顔が気になるんだろう」 と思いました。 集中できない自分が、 情けなく感じられました。 泣きながら、 机に向かったこともあります。 それでも、 何とか勉強を続けました。 そして大学受験。 結果は、 滑り止めの一校だけ合格しました。 今振り返ると、 決して順調な青春ではありませんでした。 でも、この時期に出会った人や、 学んだことは、 その後のわたしの人生に 大きな影響を与えていくことになります。
横浜市瀬谷区役所子育て支援 母親のためのコーチング 2007年4月
家庭内環境が子どもの健全な精神的成長に及ぼす影響について 1989年2月
まちづくり支援事業として、HSP自助会を立ち上げ運営した 2025年9月