/ 傾いた海 / \ ♪ 傾いた海 \

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/ 傾いた海 /



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その日、僕は革靴のまま、砂の上に立っていた。

動かずに、ただ海を見ていた。

冬の砂は、思っていたより黒かった。

光を吸いこんで、濡れたところだけが鈍く光る。

あちこちに、古い足跡がいくつも残っていた。

千鳥格子のズボンの裾が、いつのまにか砂で白っぽくなっていた。

沖のほうで、サーファーが一人、白い泡に乗って立ち上がった。

低い太陽が、水面のうえで細かく砕けている。

「その靴、海に来る靴じゃないですね」

声のほうを見ると、女の人が立っていた。

片手に、フィルムを半分めくったカップの飲みもの。

もう片手に、スマートフォンを構えている。

カップからは赤いストローが伸びていて、側面に、SARUTAHIKO COFFEE、と横文字で印字してあった。

「ヘーゼルナッツラテ」と彼女は言った。

「甘いのが飲みたくて買ったんですけど。寒い日に外で飲むと、思ってたより甘くないんですよね」

言い終わらないうちに、彼女はもう海のほうへスマートフォンを向けていた。

撮って、少し歩いて、しゃがんで、また撮る。

画面をちらりと見ると、水平線が左下がりに傾いていた。

波の白い線も、砂の際も、ぜんぶ同じほうへ流れている。



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「まっすぐ撮れないんです、いつも。海が斜めになる」

彼女は笑ったけれど、その笑い方も、どこか急いでいた。

手が、ずっと小さく動いている。

撮っては消し、また構える。

落ち着かない人だな、と思った。

僕は何も言わずに、隣に立っていた。

海のほうを向いたまま、動かずにいた。

そのうち、彼女は撮るのをやめた。

スマートフォンを下ろして、僕と同じように、しばらく黙って海を見ていた。

それから、思い出したように、カップを差し出した。

「ひとくち、いります?」

受け取ったラテは、ぬるくなっていて、思ったより甘くなかった。

ヘーゼルナッツの香りだけが、遅れてあとからやってきた。



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返すと、彼女は両手でカップを持って、沖のほうを見ていた。

「山、見えますね」と彼女は言った。

声が、さっきより低かった。

空と海の境目に、うっすらと山影がある。

晴れた日にしか見えないらしい。



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彼女はもう、写真を撮らなかった。

僕の隣で、ただ立っていた。

二人の影が、砂のうえに長く伸びていた。

寄せてきた波が、僕と彼女のすぐ手前で止まって、引いていった。

砂の上に、新しい線が一本、残った。







/今年初めに、鎌倉に行った時の写真/










\ ♪ 傾いた海 \





海が傾く わたしのなかで
何枚も撮って また構える
冷たいラテを 片手に持って
知らない人の 隣に立った


冬の光が 水のうえで
静かにほどけて 散らばってく


水平線が 撮れなくても
きみが動かず そこにいたから
黒い砂に 下ろした踵
いつのまにか 力が抜けた


シャッターの 音がひとつ
ヘーゼルナッツが 遅れて匂う
沖で誰かが 波に乗る
遠くの山が うっすら見えた


どこから来たのか 訊かないで
何も言わない ままでいい
帰り道は まだ遠くて
もう少し ここにいさせて


波が手前で 止まって
砂に一本 新しい線
ふたりで見ていた








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