①「近代神学」「近代哲学」「近代科学」も「三位一体」の関係にある
神本主義~中世の「教会中心主義」「他律」の精神を指します。
人本主義~近世の「人間中心主義」「理性的自律」の精神を指します。ルネサンスという現実的方向と宗教改革という宗教的方向と2つの方向性を持ちます。
物本主義~近代の「科学」的精神を指します。中世では「教会」が神になり、近世では「理性」が神になり、近代では「科学」が神になっていったわけです。現代思想(記号論)ではさらに「言葉」を神にしました。
ルネサンス(Renaissance)~元々、「再生」を意味する言葉。中世のキリスト教中心的なあり方から個人を解放することを目指し、古代ギリシア・ローマの古典の中に人間らしい生き方を見出しました。かくして、ルネサンス期には、古代ギリシア・ローマの文芸を再生し、古典を学び直そうという運動が広く展開し、古典を模範とすることで人間性を解放し、新たな人間像を探求する、人間中心の文化が花開きました。なお、イタリア=ルネサンスの中心地の1つ、フィレンツェは東方貿易、毛織物生産、金融業などで繫栄しており、14世紀初頭にはヨーロッパ最大の都市であったように、経済的発展の土台の上に文化的成熟が生じることが分かります。
人文主義(ヒューマニズム)~古典研究を通じた、教会中心から人間中心のあり方の追求。なお、ヒューマニズムという言葉には、①人文主義(ギリシア・ローマの古典研究)、②人本主義(人間中心主義⇔神本主義、物本主義)、③人道主義(ヒューマニテリアニズム、humanitarianism)の3要素があるので、要注意です。
万能人(普遍人)~あらゆる分野で個性や能力を発揮する人間。古代ギリシア・ローマの理想の人間像が善・美の人、中世ヨーロッパの理想の人間像が信仰の人であるのに対し、ルネサンス時代の理想の人間像とされました。
ベーコン~イギリス経験論の祖、『ノヴム・オルガヌム』『ニュー・アトランティス』。人間にはその本性や感覚によって誤謬や錯覚が生じますが、観察と実験を通じて得られた知識によって、それらを取り除き、自然の一般的な法則を捉えることで、自然を支配できると考えました。これは「感性」の哲学ですが、「自然科学への哲学」ともなりました。『ニュー・アトランティス』では科学技術が発達した理想郷を描いています。
「人間の知識と力は合一する(知は力なり)。」(『ノヴム・オルガヌム』)
経験論~経験の起源を経験(感覚)に求める立場。アリストテレス哲学・スコラ神学的な演繹法のように、いきなり普遍的な命題から個々の事例を説明するのではなく、生得観念を否定し、観察と実験によって個々の事例から段階的により普遍的な命題を導出し、自然法則を導く帰納法を学問方法としました。これは近代科学の方法論でもあります。現実の生活での有用性を重んじるイギリスを中心に発達し、経験(知覚)を根拠にした認識とはどういうことかを追究していきます。
イドラ~先入観・偏見など。ベーコンは自然を正しく認識するためには、イドラを排除しなければならないとしました。
種族のイドラ(Idola Tribus)~人間という種族であるがゆえに陥る偏見、人間に共通する自然的な制約から生じる偏見。感覚による錯覚などです。
洞窟のイドラ(Idola Specus)~個人的な性向や経験から生じる偏見、各人が各様に持っている経験や知識から生じる偏見。自然の光が遮られた洞窟の中にいる状態にたとえられています。
市場のイドラ(Idola Fori)~言葉の不適切な使用から生じる偏見、人間相互の交わりから生じる偏見。人々が集まる場所でうわさ話を信じることにたとえられています。
劇場のイドラ(Idola Theatri)~伝統や権威を無批判に盲信することから生まれる偏見、劇場で演じられる芝居を観客が本物と思い込むようなものです。
ロック~人間の心は「白紙」のようなものだとしてイギリス経験論を発展させます。『人間悟性論』。人間には生まれつき一定の観念が備わっているという見方(生得観念)を否定し、あらゆる観念は感覚という外的な経験と反省という内的経験によって、後天的に形成されるとしました。
白紙(タブラ・ラサ、tabula rasa)~人間の心の生まれた当初の状態、経験する前の状態。後に科学哲学者カール・ポパーはこれを「バケツ理論」と批判します。
バークリー~観念以外の事物の存在を否定する唯心論を展開しました。これは「全ては心の表れである」とする中期大乗唯識思想とも通じる考え方です。
「存在することとは知覚されることである。」~バークリーは、事物が存在するのは人間がこれを知覚する限りにおいてであり、心の他に物質的世界などは実在しないと考えました。
ヒューム~因果関係の客観性を否定する懐疑論者。原因と結果の結びつきはむしろ習慣的な連想や想像力に由来する主観的な信念に他ならないとしました。このヒュームの懐疑論は、後にカントの「独断のまどろみ」を破ったことで知られています。
「知覚の束」~ヒュームは経験論を徹底させ、人間の心は単なる「知覚の束」にすぎないと主張しました。そして、実在するのは流れゆく知覚だけで、実体としての精神は存在しないという懐疑的立場を取りました。
デカルト~大陸合理論の祖、物心二元論を展開、『方法序説』『省察』『情念論』。情念(感情や欲望)を外部からの刺激によってもたらされた受動の状態であると考えました。また、万人に等しく良識(ボン・サンス、理性)が備わっており、これを正しく用いることで真理に到達できると考えました。具体的には、方法的懐疑から出発して、彼自身が創始した解析幾何学(近代数学)に基づく演繹法を採用し、これを土台として一切の学問を築き上げようとしました。また、理性(良識)によって感情や欲望などの情念を制御することで生じる、自由な主体としての気高い心を高邁の精神と言います。
合理論~感覚的な経験は不確かだとし、人間の理性を知の源泉と考える立場で、主にヨーロッパ大陸で発展しました。人間に生まれつき備わっている観念(生得観念、本有観念)を認めます。これは「理性」の哲学ですが、近代数学の方法でもあります。ちなみに座標平面(デカルト座標系)を使って代数と幾何を統合したのもデカルトの業績です。
「我思う、ゆえに我あり。」(cogito ergo sum.コギト・エルゴ・スム)~デカルトは、少しでも疑い得るものは虚偽として退ける方法的懐疑を徹底した結果、疑っている限りの我の存在だけは確実であると考えるに至りました。これにより、身体から切り離された意識の主体としての「私」(自我)の存在が確立され(近代的自我の成立)、精神と物質を区別する物心二元論(心身二元論)が成立しました。
物心二元論~古代においてはアリストテレスが形相(エイドス)と質料(ヒュレー)を説きましたが、デカルトは思惟を本質とする精神と延長を本質とする物体を区別し、それぞれを独立した実体と考えました。ここから西洋哲学の基本となる主客対立という考え方が生まれるのであり、物質世界の法則を見出して古典力学を完成させたニュートンと合わせて、これをデカルト=ニュートン主義、デカルト=ニュートン的世界観と呼んだりします。
スピノザ~大陸合理論の哲学者、『エチカ』。神は無限で永遠の唯一の実体であり、自然そのものであるという汎神論「神即自然」を唱えました。したがって、全ての事物を、神を表現するものとして「永遠の相のもとに」見ることの重要性を主張しました。
ライプニッツ~互いに独立して宇宙を構成するとされる「モナド」(monad、単子)を想定し、それらは神の創造の時点で予定・調整された「調和」を本質として持つとしました(予定調和)。
カント~ドイツ観念論の創始者。批判哲学の立場から理性を検討し、主観の働きにより対象が構成されるという認識論を展開して、「イギリス経験論」と「大陸合理論」を統合し、「理性」の限界を示して、宗教と科学の分離を促しました。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』。理性を理論理性と実践理性に分け、理論理性の領域は経験できるものに限られ、それを超えたものは実践理性が明らかにする領域だと考えて、理性の限界を明らかにしました。これは「悟性」の哲学です。また、プラトンが「ギリシア正教の哲学者」、アリストテレスが「ローマ・カトリックの哲学者」と呼ばれるのに対し、カントは「プロテスタンティズムの哲学者」と呼ばれます。
『純粋理性批判』~人間の認識能力(理論理性)の限界を検討し、概念を形成する悟性(understanding)は時間・空間という形式を持つ感性(sensibility)より得た直感的な印象に思考の枠組みを当てはめて対象を構成するとしました。このようにカントが従来の「認識が対象に従う」という理解の仕方を「対象が認識に従う」と180度転換したことをコペルニクス的転回と言い、今日の認知心理学は基本的にこのカントの立場に立っています。そして、こうした感性と悟性をつなぐものを構想力と呼びますが、事物そのものである「物自体」は認識できないとしました。
「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である。」(『純粋理性批判』)
『実践理性批判』~人間の道徳能力(実践理性)を批判的に検討し、経験を超える事柄(神、霊魂の不滅など)については理論理性では判断できず、実践理性が関わる領域であるとしました。カントは、自然界に法則があるように、人間にも従うべき道徳法則があると考え、条件付きで従うべき命令である仮言命法に対して、道徳法則は「ただ~せよ」という定言命法の形で発せられ、善意志に基づいて、この実践理性が自ら立てた道徳法則に自発的に従うことを自律と言います。この「理性的自律」こそが近代的人間観の根底にあるものです。
「私の上なる星空と、私の内なる道徳法則」(『実践理性批判』)~「繰り返し長く考えれば考えるほど、常に新たな感嘆と崇敬をもって心を満たすもの」として挙げられたもので、『実践理性批判』の結びの言葉です。カントの墓碑銘にもなっています。
目的の王国~各人が互いの人格を目的として尊重し合う理想社会。全ての人間が互いを自律的主体と見なし、尊重し合う道徳的共同体。
「汝の人格や他のあらゆる人格の内にある人間性を、いつも同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように行為せよ。」(『道徳形而上学の基礎づけ』)
永久平和論~カントは目的の王国の考えを国際社会に適用し、戦争のない永久平和を実現するために世界連邦が必要であると考えました。このカントの永久平和論は国際連盟、国際連合に続く世界政府構想などを考える時、よく取り上げられます。
フィヒテ~ドイツ観念論の哲学者。ナポレオン占領下のベルリンで「ドイツ国民に告ぐ」と題した講演を行い、ドイツ人に国民国家形成を強く呼びかけたことで広く知られます。
シェリング~ドイツ観念論の哲学者。自然と精神の対立の根底に両者を統一する絶対者を認める同一哲学を唱え、芸術に現れる絶対者の直観的把握を目指しました。
ヘーゲル~ドイツ観念論の大成者。客観的な法と主観的な道徳の統一を主張しました。自由を本質とする精神は、まず個人の主観的精神として現れ、次に社会関係としての客観的精神となり、最後に両者を統一する絶対精神になると考え、このように主観的精神と客観的精神を統一した絶対精神が自由を実現していく過程として世界史を捉えました。
弁証法~全ての存在や認識は矛盾や対立を通してより高次なものへと展開していくとする思考法。産婆術と呼ばれたソクラテスの問答法なども古代の弁証法です。ヘーゲルは、事物や現象の運動を支える原理として、事物が正→反→合の過程を繰り返しながら発展していく法則を弁証法としました。また、世界史を世界精神の弁証法的な自己展開の過程と考えました。
近代神学~伝統的信仰に基づく「正統主義神学」に対して理性的合理主義に立つ「自由主義神学」が提唱され、「宣教のイエス」に対する「史的イエス」の問題が取り上げられるようになります。ここに高層批評、下層批評からなる「聖書批評学」という強力な方法論が誕生し、近代神学が確立します。
聖書批評学~聖書の一言一句を神の言としてとらえる伝統的な「逐語霊感説」に対して、「原典研究」「文献批評」(テキスト・クリティーク)などによって聖書を文献として合理的に分析する学問。近代学問の源泉の一つとなり、その手法は哲学(アリストテレス研究におけるイェーガー革命など)、仏教学(サンスクリット語・パーリ語の原典研究による法華至上主義批判、大乗仏教非仏説など)、歴史学(漢委奴国王批判、邪馬台国批判など)など様々な分野に波及しました。また、同時代的に清朝で考証学、日本で荻生徂徠の古文辞学が起こっており、いずれも学問の基礎づけとして重要視されます。聖書批評学には写本の比較検討を行う下層批評と本文内容の検討を行う高層批評の2つの方法があり、特に「史的イエス」と「宣教のイエス」を分けた高層批評が伝統的信仰を揺るがすほどの影響を与えました。
モーセ五書の成立~『旧約聖書』の根幹とも言える、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記からなるモーセ五書は従来、モーセ一人の作とされてきましたが、創世記だけでも神をヤハウェと呼び、素朴で写実的な文体で、人間と同じく園を歩かれる神が描かれるJ資料、神をエロヒームと呼び、技巧的で荘重な文体で、神の姿は見えず、威厳のある声だけが聞こえているE資料、申命記の原資料となったD資料、祭司資料であるP資料など、少なくとも4つの資料の合成体であることが明らかになりました。今日、一般的に支持されているグラーフ・ヴェルハウゼン学説によれば、その成立・編集・意図がかなりの部分まで明らかになっています。
①BC922年にイスラエル王国が北朝イスラエルと南朝ユダに分裂した後、BC850年頃、南朝ユダの伝承を編集してJ資料が成立。
②BC750年頃、北朝イスラエルの伝承を編集してE資料が成立。
③BC721年に北朝イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、BC650年頃、南朝ユダでJ資料とE資料が1つの資料に編集されました。
④BC622年に神殿から1つの律法の書(D資料)が発見され、これが南朝ユダのヨシヤ王の宗教改革(申命記改革)の理念となりました。
⑤BC587年に南朝ユダもバビロニアに滅ぼされ、バビロン捕囚となりますが、その際にこれらの資料も捕囚の地に持ち込まれました。
⑥バビロン捕囚末期に捕囚の地で新しい宗教運動が起こり、この時に祭儀に関する細かい規定などが書かれたP資料がまとめられました。P資料は神の権威と支配を訴える一方、排他的選民主義に貫かれており、このP資料を編集したグループがJ資料・E資料・D資料に手を加えて、総合的に編集し、BC450年頃にモーセ五書を成立させました。
四福音書の成立~『新約聖書』の根幹とも言える、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書からなる四福音書には少なくとも4つの原資料があったことが明らかになっています。ストリーター説によれば、おおむね次のような経緯となります。
①50年頃、マタイが編集したイエスの教訓集「ロギア」(Q資料)が成立。
②60年代、マルコ福音書、ルカ福音書特有の資料(L資料)、マタイ福音書特有の資料(M資料)が成立。
③80年代、これら4つの資料を使ってマタイ福音書、ルカ福音書が成立。
④100年頃、マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書(これらは内容が類似しているので共観福音書と言います)を参考にし、独自の資料も加えてヨハネ福音書が成立。
様式史研究~福音書に記された伝承は、「史的イエス」を正確に伝えるためのものではなく、神の子イエス、病気の癒し、十字架による贖罪、復活、聖霊降誕など「宣教のイエス」を伝えるための「生活の座」で語られたものであることを明らかにしました。
編集史研究~福音書記者は単なる伝承の編集者ではなく、「宣教のイエス」を伝えるという編集の「意図」を持っていたことを明らかにしました。これによれば、十字架贖罪論や信仰義認説も聖書に出てくるイエスの記述から必然的に導き出されるものではなく、逆にそのような意図を持って語られた伝承をそのような意図を持った編集者がまとめたものが聖書だということになります。したがって、こうした意図的な「宣教のイエス」像にそぐわない記述こそが、実際の「史的イエス」を浮かび上がらせることになります。さらにこれを仏教学に応用すれば、「史的釈迦」と「宣教の釈迦」を分離する観点が出てくるでしょう。
コペルニクス~ポーランドの天文学者、『天球の回転について』。中世を通じて、アリストテレス、プトレマイオスの天動説がキリスト教の宇宙観になっていたのに対し、ピタゴラス派の主張を受けて地動説を完成させました。
ガリレイ~イタリアの数学者・物理学者、『天文対話』。宇宙や自然を「第二の聖書」と考え、仮説を実験によって実証し、数学的に論証することで近代科学の方法を創始し、宗教と科学を分離します。天文学・力学分野で実験をもとに慣性の法則や自由落下の法則(落体の法則)を発見し、近代物理学の基礎を築きました。また、『天文対話』で地動説を支持しましたが、宗教裁判にかけられて自説を撤回しました。
ケプラー~ドイツの天文学者。ティコ=ブラーエの天体観測によって得られた精密な観測値に基づき、惑星が楕円軌道を描くという法則を発見して、伝統的な宇宙観に変更を迫りました。
ケプラーの3法則~
(1)第一法則(楕円軌道の法則)~惑星は太陽を1焦点とする楕円軌道を描く。
(2)第二法則(面積速度の一定の法則)~惑星と太陽を結ぶ直線は等しい時間に等しい面積を描く。
(3)第三法則(調和の法則)~任意の2惑星の公転周期の2乗は太陽からの平均距離の3乗に比例する。
ニュートン~イギリスの数学者・物理学者・天文学者、『プリンピキア』(自然哲学の数学的諸原理)。地上から天体までのあらゆる自然現象の運動を統一的に説明し得る根本原理(運動の法則、万有引力の法則)を発見することで古典力学を確立し、近代的な自然哲学を構築、機械論的自然観(⇔目的論的自然観)に道を開きました。
ニュートンの運動の3法則~
(1)運動の第一法則(慣性の法則)~物体に外部から力が働かない時、またはいくつかの力が働いてもそれらの力がつりあっている時は、止まっている物体はいつまでも静止を続け、動いている物体は等速直線運動を続ける。
(2)運動の第二法則(運動方程式)~物体に力が働くと,力の向きに,力の大きさに比例した速度の変化。加速度) を生じる。
(3)運動の第三法則(作用反作用の法則)~物体Aから物体Bに力を働かせると、物体Bから物体Aに、同じ作用線上で、大きさが等しく、向きが反対の力が働く。
目的論的自然観~自然界の現象は一定の法則によって規定されているという見方。
機械論的自然観~自然を機械のような存在としてとらえ、自然界の事象を物理的な因果関係のみによって説明する見方。デカルトの物心二元論やニュートンの力学はこの立場に立ち、ここから自然の支配・利用が進みました。
参考文献:
『概説西洋哲学史』(峰島旭雄編著、ミネルヴァ書房)
『キリスト教思想史入門』(金子晴男、日本基督教団出版局)